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101.
自分自身に対してどうでもよい、
と無関心でいることはできない。
自分自身をべつな目で見ることはできないからだ、
「世間」が自分を見るようには。
(
トーマス・マン
)
(
Thomas Mann
)
102.
知らないこと(=自分が知らないということ)を指摘される痛み
というものがあるが、
知っていること(=自分が知っているということ)を指摘される痛み
というものもある。
自分でうすうすわかっていながら
見ないでいようとしているものを
無理やり見させられる痛み
というものもあるだろう。
(
宮地尚子
)
(
Miyaji Naoko
)
103.
論理家は
大西洋またはナイヤガラ瀑布など、
見たり聞いたりしたことがなくても
存在の可能なことを、
推定しうるであろう。
(
コナン・ドイル
)
(
Conan Doyle
)
104.
「愛国」という字を目にしたりすると、
国を単位にしてすべてを考え、
その主義を人に押しつけようとする人たちの、
すえたような体臭が匂ってきて、
鳥肌がたってきます。
(
川崎洋
)
(
Kawasaki Hiroshi
)
105.
自分の力で物事を究めたり見たりするかわりに、
他人がだれかのことを云々(うんぬん)したり、
だれかの批評をしたりしていることを
耳にはさんで、
それに引きずられる習慣が身についてしまうと、
諸君が東に行きたいと考える時でも
西へ歩いてしまう。
また諸君自身は西へ行きたいと考えているのに
東へ歩いて行くようなはめになる。
(
マルコムX
)
(
Malcolm X
)
106.
現在若い諸君が学ばねばならぬ
一番重要なことの一つは、
自分の目でいかに物事を見、
(自分の耳でいかに物事を)聞き、
(自分の頭ででいかに物事を)考えるか
ということにつきる。
そうすれば諸君は、
自分の力で知的な判断を下せるようになるだろう。
(
マルコムX
)
(
Malcolm X
)
107.
調査者(=フィールド・ワーカー)は、
それぞれテーマを持って調査するのは当然であるが、しかし
相手を自分の方に向かせようとすることにのみ
懸命にならないで、
相手の立場に立って物を見、そして考えるべきではないかと思う。
(
宮本常一
)
(
Miyamoto Tsuneichi
)
108.
生に強く執着する人、
もっと正確にいえば、
生に執着しようとする人なら、
いまふたたび日々が軽やかに、
かすめるようにすぎていくのを見て、
ぞっとすることだろう。
(
トーマス・マン
)
(
Thomas Mann
)
109.
人の見のこしたものを見るようにせよ。
その中にいつも大事なものがあるはずだ。
あせることはない。
自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。
(
宮本常一
)
(
Miyamoto Tsuneichi
)
110.
雨の日、外には出られない。
仕方なく窓からぼーっと外を見る。
大昔にも雨の日はあった。
人間は仕方なくぼーっと外を見た。
外に見える風景を描きはしないにしても、仕方なく、目的のないものを見ていた。
人間がはじめて風景として見たのは、雨の風景かもしれない。
(
赤瀬川原平
)
(
Akasegawa Genpei
)
111.
花を所有しようとする者は、
花が萎んでいく姿を目撃することになる。
だが、野に咲く花を見ているだけの者は
いつまでも花と一緒にいることができる。
あなたが私のものには決してならないからこそ、
私はあなたといつまでも一緒にいることができるんだ。
(
パウロ・コエーリョ
)
(
Paulo Coelho
)
112.
虹を見たい人は、
雨を好きにならないと。
(
パウロ・コエーリョ
)
(
Paulo Coelho
)
113.
物を見る時、
物と自分との間に介在物を置かないことである。
(中略)禅宗では、「直下」(じきげ)という言葉をよく使うが、
全く直下に見さえすればよい。
知慧(ちえ)や評判を持ち出すなら
直下ではない。
知識は
物を離れて見るという働きに過ぎぬ。
(
柳宗悦
)
(
Yanagi Muneyoshi
)
114.
私は断言する
見るに値するものがあったから
眼が出来たのだと
ぼんやり感受した明るい空を
はっきり見ようとして
皮膚の一ところが次第に透明な水晶体へと
変ってゆくさまを 私は思い描く
(
吉野弘
)
(
Yoshino Hiroshi
)
115.
仏法でよく「捨てよ」というが、
これのみが「得る」所以(ゆえん)である。
つまり物を見る時、
物と自分との間に介在物を置かないことである。
じかに見届けることが肝要なのだ。
それでないと物の中には入りこめぬ。
(
柳宗悦
)
(
Yanagi Muneyoshi
)
116.
空想は創造性の卵を孵(かえ)し、
夢想、ビジョン、聖なる存在を見る
幻視すらも可能にします。
(
サラ・バン・ブラナック
)
(
Sarah Ban Breathnach
)
117.
美は考えるものではない。
一見して直(じか)に感ずる事の出来る、
極めて簡単な手続きのものだ。
(
谷崎潤一郎
)
(
Tanizaki Junichirou
)
118.
私の狙い(=文章を書く際に気をつけていること)は、
見たことや感じたことを
最もうまく単純に書くことだ。
(
ヘミングウェイ
)
(
Ernest Hemingway
)
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