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[ 名言 ]
料理は、おなかに一杯になればいいというものでは無い。
さらに、料理の本当のうれしさは、多量少量にあるのでは勿論(もちろん)なく、また、うまい、まずいにあるものでさえ無いのである。
料理人の「心づくし」それが、うれしいのである。
心のこもった料理、思い当るだろう。
おいしいだろう。
それだけでいいのである。

[ 出典 ]
太宰治[だざい・おさむ]
(明治〜昭和の作家、1909〜1948)
『如是我聞』(にょぜがもん)

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〈原文全文〉
一人の外国文学者が、私の「父」という短篇を評して、(まことに面白く読めたが、翌(あく)る朝になったら何も残らぬ)と言ったという。
このひとの求めているものは、宿酔(ふつかよい)である。
そのときに面白く読めたという、それが即ち幸福感である。
その幸福感を、翌る朝まで持ちこたえなければたまらぬという貪婪(どんらん)、淫乱、剛の者、これもまた大馬鹿先生の一人であった。
(中略)宿酔がなければ満足しないという状態は、それこそほんものの「不健康」である。
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君たちは、どうしてそんなに、恥も外聞もなく、ただ、ものをほしがるのだろう。
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文学に於(おい)て、最も大事なものは、「心づくし」というものである。
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「心づくし」といっても君たちにはわからないかも知れぬ。
しかし、「親切」といってしまえば、身もふたも無い。
心趣(こころばえ)。
心意気。
心遣い。
そう言っても、まだぴったりしない。
つまり、「心づくし」なのである。
作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、文学の永遠性とか、或(ある)いは文学のありがたさとか、うれしさとか、そういったようなものが始めて成立するのであると思う。
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料理は、おなかに一杯になればいいというものでは無いということは、先月も言ったように思うけれども、さらに、料理の本当のうれしさは、多量少量にあるのでは勿論(もちろん)なく、また、うまい、まずいにあるものでさえ無いのである。
料理人の「心づくし」それが、うれしいのである。
心のこもった料理、思い当るだろう。
おいしいだろう。
それだけでいいのである。
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(文学・芸術・料理に)宿酔(ふつかよい)(=翌朝までの余韻)を求める気持は、下等である。
やめたほうがよい。
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