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苦しんでも歩きたい道は、幸せになりたい道だ。
波間信子[はま・のぶこ]
(漫画家) 漫画『ハッピー!』第22巻 あなたは幸せになりたいですか?
そう聞かれたら、誰でも「なりたい」と答えるでしょう。 では、あなたが今歩んでいる「道」は、「幸せになれる道」だと思いますか? なお、ここでいう「道」とは、「人生」のことです。 2番目の問いに対して、「そうだ」と自信を持って答えられる人は、少ないのではないでしょうか? ■残念なことに、ほとんどの人が、「この道を進めば自分は幸せになれる」という確信を持たずに(持てずに)生きています。 みな、たまたま何かの弾みで選んでしまった「道」を、惰性で歩いているのです。 惰性というのは、ある意味「楽」な歩き方です。 その代わり、「自分の足で歩いている」という実感と楽しさを感じられない歩き方です。 人生も同じです。 惰性で生きていれば、生きている実感と楽しさを感じられません。 ■今歩いている「道」は、とりわけ風景や景色がいいというわけではない。 どうしても見たいと思えるような目当ての場所があるわけでもない。 だから、歩いてもたいして心はときめかない。 時には「別の道を歩いた方が楽しいかもしれない」と考えることもある。 しかし、この道は舗装されていて歩きやすいし、これまでも大きな危険や障害はなかった。 もし他の道に移ったら、道が悪いかもしれないし、危険や障害があるかもしれない。 こうして多くの人は、不満を持ちながらも、「安全で退屈な道」を「惰性」で歩き続けるのです。 ■では、今の道はいつまでも安全でしょうか? それは誰にも分かりません。 行き止まりかもしれないし、崖っぷちにつながっているかもしれない。 天変地異によって一瞬で破壊されるかもしれない。 「幸せになれる」という確信を持てないだけでなく、安全が保証されていないなら、一生をかけて歩くに値する「道」と言えるでしょうか? ■大事なのは、「幸せになれる」という確信を持てる「道」を歩くことです。 確信を持てないにしても、せめて「幸せになれるんじゃないかな」と希望を持てる「道」を歩くことです。 それは、道が舗装されていない砂利道だったり、ぬかるんだ道だったり、長い登り坂かもしれない。 もはや道とは言えないような山道(やまみち)、けもの道かもしれない。 それでも「幸せになれる」という確信や希望があれば、歩いている楽しさと生きている実感が強く感じられるはずです。 そして、このことは、すでに「幸せになっている」ことも意味しています。 ■幸せは「ゴール」にあるのではなく、「過程」つまり「現在」にあるのです。 どんなにつらく苦しくても、それでも歩きたいと思える道こそが、「幸せになれる道」であり「幸せでいられる道」、つまり「幸せになりたい道」なのです。 現在が、ただつらく苦しいだけで、または退屈であるだけで、喜びも楽しみも見いだせないとしたら、それは「幸せになりたい道」を歩いているとは言えません。 自分の「幸せになりたい道」を何としてでも探し出し、思い切って歩き始めましょう。 そのためなら、何度「道」を変えても構いません。 実際に歩いてみなければ分からないことも、結構多いのですから。
(七瀬音弥:ななせおとや)
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( 作者不詳 )
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( 作者不詳 )
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( ロイ・D・チャピンJr. )
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人間は、
高度な文化を維持しながら 攻撃性を消去することは できないのである。 怒りを根絶することはできないのだ。 怒りはひとりの人間が 人間として豊かに生きていくうえに、 必要不可欠のもの、 重要なものなのである。
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( 塩沼亮潤 )
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