今日多用されてゆきわたっているヴォキャブラリーは、ほとんどが説明のヴォキャブラリーに終始しています。
それで分かるようになったかというと、むしろ逆にひどく分かりにくくなった。 それはマニュアルなどに見るような文章の分かりにくさ、不明瞭さがいい例です。 長田弘[おさだ・ひろし]
(詩人、1939〜2015) 『なつかしい時間』 「猫と暮らす」 【 長田弘の名言 】
《 文章の書き方の名言 》
〈抜粋文全文〉
今日多用されてゆきわたっているヴォキャブラリーは、ほとんどが説明のヴォキャブラリーに終始しています。 それで分かるようになったかというと、むしろ逆にひどく分かりにくくなった。 それはマニュアルなどに見るような文章の分かりにくさ、不明瞭さがいい例です。 __ Link __ 今はどっちを向いても、ことごとく説明の時代ですが、見て感じて聴き入って考えて、うつくしいと言うのに、いったい説明や弁明が必要でしょうか。 __ Link __ うつくしいと言うのにはうつくしいと言えればいい。 それだけのことが、説明の時代である今日むしろ難しくなってはいないでしょうか。 __ Link __ けれども、言うことのできないおおくのものでできているのが、実は、人の人生という小さな時代なのだと思うのです。 __ Link __ 音のない音楽のように、手につかむことのできないもの。 けれども、あざやかに感覚されるものを、説明しようとすれば、逆に「何か」としか言えないような大切な「何か」を、むしろ切り落としてしまうことになる。 __ Link __
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