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才能を疑い出すのが、
まさしく才能のあかしなんだよ。 (ver.0) E・T・A・ホフマン
[エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン] (19世紀前半ドイツの小説家・詩人・作曲家、裁判官、1776〜1822) 『ホフマン短編集』 (ver.1)
自分の才能を疑い出すことは、 それ自体才能の現れである。 凡人は 才能を疑うなんてことを発想すらしない。 一般に、自分の才能を疑う人は、自分に自信が無く、それは才能が無いからだと考えられがちです。
しかし、自分の才能を疑えること自体が、実は才能がある証拠なのです。 ■なぜなら、本当に才能の無い人は、自分に才能があるかどうかなど考えたりもしません。 言い換えれば、悩むほどの情熱や執着心がないとも言えるでしょう。 情熱や執着心がなければ、どんな才能だって滅多に開花しないものです。 よほどずば抜けた天才、幸運な天才でない限り、「自分の才能を疑う」才能が無ければ世に出ることはできません。 ■一方、自分に才能があるかどうかを意識することは、上達・向上へのエネルギーとなります。 失敗や他人に負けたことによる敗北感や悔しさを、さらなる努力へのエネルギーに転換することができるなら、それは立派な「才能の証」です。 もちろん、才能を疑い出して自信を失って、結局あきらめてしまえば、「才能は無かった」ということになります。 まず自分の才能を疑い出すこと、そして才能を疑った後にどう行動するかで、「才能があるかどうか」が決まるのです。 ■なお、この名言で注目すべきなのは、「才能を疑い出す」という点です。 つまり、あくまでも「時々、疑い出す」のであって、「ずっと疑い続ける」ことを意味していないということです。 もし、ずっと才能を疑い続けたら、心が折れてしまって、何事も継続することはできません。 ■人は、自分の慢心や惰性をいさめるためにも、「自分には才能があるのだろうか?」と時々疑ってみるぐらいの謙虚さと冷静さが必要なのです。 自分の才能を疑った時に生じる感情の渦は、スパイスの効いた刺激となります。 自分の中によい緊張感が生まれます。 そしてそれは、自分を振り返り、初心に戻って、心新たに再スタートをきるための、絶好のきっかけとなるでしょう。 ■もし、自分は才能が無いんじゃないかと悩んでいるなら、こう思うことです。 ──少なくとも自分には、自分の才能を分析できるだけの「才能」はある。 この「才能」を無駄にしてはいけない。
(七瀬音弥:ななせおとや)
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( L・S・バークスデイル )
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( 老舎 )
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【 宇野千代 】
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