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[ 名言 ]
運・不運はナイフのようなものだ。
その刃を握るか、柄を握るかで、我々を傷つけたり、我々の役に立ったりする。
(ver.0)

[ 出典 ]
ジェームズ・ラッセル・ローウェル
(19世紀米国の詩人・外交官、1819〜1891)

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[ 別表現/別訳 ]
(ver.1)
運・不運はナイフのようなものだ。
その刃を握るか柄をつかむかで、我々を傷つけたり、我々の役に立ったりする。

[ 意味 ]
物事は捉え方(考え方)とその対応の仕方次第で、良くも悪くもなる。

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[ 解説 ]
みなさんは、幸運は良いこと、不運は悪いことだと思っていませんか?
幸運が訪れた人はラッキーで、不幸が訪れた人はアンラッキーだと思っていませんか?


■もし幸運が良いことであるとしたら、幸運が訪れた人は、それをきっかけとして、他の人が羨むような素晴らしい人生を送るはずです。
しかし、現実はそうなっているでしょうか?
身の回りで幸運を手にしたことのある人を思い出してみましょう。
それなりの幸運を手にしたにも関わらず、その後もさえない人生を送っている人もいれば、不幸な人生を歩んでいる人さえいることに気づくでしょう。
つまり、幸運を手にしても、それを活かすことができなければ、どんな幸運も全く意味をなさないのです。
それどころか、幸運の使い方を誤れば、不幸を呼び込むことすらありえるのです。


■同様に、不運が悪いことであるとしたら、不運が訪れた人はそれ以降、不幸な人生を歩くはずですが、現実はどうなっているでしょうか?
その不運をきっかけに、坂道を転げ落ちて行き、奈落の底を這い回るような人生を送っている人もいるでしょう。
しかし一方では、不運をバネにして奮起して、再び元のような人生に復帰した人や、さらに成功の階段を上り始めた人もいるでしょう。
この差は一体何によるものなのでしょう?
それは「不運」を「不幸」ととらえるか、それとも「試練」や「経験」ととらえるかという「心構え」の違いなのです。
「不運」を「不幸」ととらえる人は、たいてい落ち込んで立ち直れなくなります。
しかし、「試練」や「経験」ととらえる人は、そこから多くのことを学んで次に活かすのです。
「不運」に何度か遭遇すれば、両者の差は天と地ほどに開いてしまうでしょう。


■冒頭の問いに戻ります。
幸運は良いことで、不運は悪いこと。
そう信じている人は、幸運がいつか訪れないかと願い続けることでしょう。
白馬の王子様がいつか突然現れないかと待ち望む女性のように。
また同時に、不幸がいつ訪れないかとびくびくしながら、不幸が訪れないことをひたすら願い続けるでしょう。


■しかし、幸運を待ち続けるのは受動的な生き方です。
そして、不運を避けようとするのは、ものごとに消極的な生き方です。
受動的でしかも消極的な生き方をしていたら、チャンスもつかめず、幸福な人生を送ることなど到底できません。


■幸運も不運も単なる「試練」や「経験」に過ぎません。
いわば自分に向かって飛んできたナイフのようなものです。
そのとき、ナイフの刃をつかんでしまうか、上手に柄をつかむか、それは全て自分の心の持ちよう、心構え次第なのです。
(ながれおとや)


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