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[ 名言 ]
大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害が踏切台となる者であります。

[ 出典 ]
ジッド(ジード、ジイド)
[アンドレ・ジッド]
(19〜20世紀フランスの小説家、ノーベル文学賞受賞、1869〜1951)

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〈全文〉
芸術は常に一(ひとつ)の拘束の結果であります。
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芸術が自由であれば、それだけ高く昇騰すると信ずることは、凧(たこ)のあがるのを阻むのは、その糸だと信ずることであります。

カントの鳩は、自分の翼を束縛する此(こ)の空気が無かったならば、もっとよく飛べるだろうと思うのですが、これは、自分が飛ぶためには、翼の重さを托(たく)し得る此の空気の抵抗が必要だということを識(し)らぬのです。
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同様にして、芸術が上昇せんが為には、矢張り或(あ)る抵抗のお蔭(かげ)に頼ることが出来なければなりません。
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大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害が踏切台となる者であります。
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伝える所では、ミケランジェロがモオゼの窮屈な姿を考え出したのは、大理石が不足したお蔭だと言います。
アイスキュロスは、舞台上で同時に用い得る声の数が限られている事に依(よっ)て、そこで止(や)むなく、コオカサスに鎖(つな)ぐプロメトイスの沈黙を発明し得たのであります。
ギリシャは琴に絃(げん)を一本附け加えた者を追放しました。

芸術は拘束より生まれ、闘争に生き、自由に(=自由のために)死ぬのであります。
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[ 解説 ]
この言葉について太宰治は『鬱屈禍』の中で、次のように述べている。

(以下引用文)大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害を踏切台とする者であります、と祖父のジイドから、やさしく教えさとされ、私も君も共に「いい子」になりたくて、はい、などと殊勝げに首肯(うなず)き、さて立ち上ってみたら、甚だばかばかしい事になった。
自分をぶん殴り、しばりつける人、ことごとくに、「いや、有難うございました。
 お蔭で私の芸術も鼓舞されました。」とお辞儀をして廻らなければならなくなった。
駒下駄で顔を殴られ、その駒下駄を錦の袋に収め、朝夕うやうやしく礼拝して立身出世したとかいう講談を寄席で聞いて、実にばかばかしく、笑ってしまったことがあったけれど、あれとあんまり違わない。
大芸術家になるのもまた、つらいものである。
などと茶化してしまえば、折角のジイドの言葉も、ぼろくそになってしまうが、ジイドの言葉は結果論である。
後世、傍観者の言葉である。
ミケランジェロだって、その当時は大理石の不足に悲憤痛嘆したのだ。
ぶつぶつ不平を言いながらモオゼ像の制作をやっていたのだ。
はからずもミケランジェロの天才が、その大理石の不足を償って余りあるものだったので、成功したのだ。
いわんや私たち小才は、ぶん殴られて喜んでいたのじゃ、制作も何も消えて無くなる。
(ながれおとや)


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