いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
伊丹万作[いたみ・まんさく]
(昭和初期の映画監督、1900〜1946) 『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月 「戦争責任者の問題」 【 伊丹万作の名言 】
〈全文〉
いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。 __ Link __ つまりだますものだけでは戦争は起らない。 だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。 __ Link __ そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。 __ Link __ このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。 また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。 ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。 しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。 __ Link __ 「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹(あんたん)たる不安を感ぜざるを得ない。 __ Link __ 「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。 いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。 __ Link __ 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。 __ Link __ この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじゃく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
1.
( 遠藤周作 )
2.
( アインシュタイン )
3.
( 本田健 )
4.
( 太宰治 )
5.
( 高浜虚子 )
6.
( 原田泳幸 )
7.
( 柄本明 )
8.
( ジョージ・エリオット )
9.
( 太宰治 )
10.
( 釜本邦茂 )
11.
( ジョセフ・マーフィー )
12.
( 『TEAM〜警視庁特別犯罪捜査本部』 )
13.
( 安東浩正 )
14.
( 稲盛和夫 )
15.
( 堀場雅夫 )
16.
( 金八先生 )
17.
( 渡邉美樹 )
18.
( 『大般涅槃経』 )
19.
( イソップ )
20.
21.
( 中谷彰宏 )
22.
( アニメ『ジョジョの奇妙な冒険 ストーン・オーシャン』 )
23.
( イタリアのことわざ・格 )
24.
( 福沢諭吉 )
25.
( 堀場雅夫 )
26.
( 寺山修司 )
27.
( エマーソン )
28.
( ジェラルド・G・ジャンポルスキー )
29.
( コーネリアス・ヴァンダービルト )
30.
( フランツ・カフカ )
【 虚弱な人 】
【 傍観者の態度 】 【 寛容な態度で認める 】 【 愛していることを口に出さない 】 【 困難は踏み台 】 【 憎まない 】 【 機会を追求 】 【 荻原博子の名言 】 【 自己限定枠を外す 】 【 新しい自分のイメージ 】 【 結婚と退屈 】 【 火の上の氷 】 【 完全に生きる 】 |