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自分自身の胸にストンと全部、きれいに納得できるような作品、一つでも自分が書いていたら、また、いますぐ書ける自信があったら、なんで、こんな、どぶ鼠みたいに、うろうろしていようぞ。

[ 出典 ]
太宰治[だざい・おさむ]
(明治〜昭和の作家、1909〜1948)
『正直ノオト』

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〈全文〉
私は、私の作品を、これは傑作だなんて、言ったことは、ありません。
悪作だ、と言ったこともありません。
それは、傑作でもなければ、悪作でもないのが、わかっているからです。
少し、いいほうかも知れない。
けれども、今までのところ、私は一篇も、傑作を書いていません。
それは、たしかです。
こないだも、或る先輩のお方と話合ったことですが、じっさい、自分自身の胸にストンと全部、きれいに納得できるような作品、一つでも自分が書いていたら、また、いますぐ書ける自信があったら、なんで、こんな、どぶ鼠みたいに、うろうろしていようぞ。
銀座でも、議事堂のまえでも、帝大の構内でも、りゅうとした身なりで、堂々あるいてみせるのだが、どうも、いけません、当分、私は、だめでしょう。
そう言ったら、その先輩のお方も、なるほど、人から貴下の代表作は?
と聞かれたとき、さあ、桜の園、三人姉妹なんか、どうでしょう、とつつましく答えることができるようだったら、いいねえ、としんみり答えたことでした。


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