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わたしは、経験というものは、体験者が非体験者へつらなる道をさぐること、非体験者が体験者への想像力を獲得してゆくことの交差によって、はじめて経験とよべるものになってゆくんだとおもうんですね。
長田弘[おさだ・ひろし]
(詩人、1939〜2015) 『一人称で語る権利』 〈全文〉
しばしば、体験は言葉にはならないんだということがいわれる。 わかりっこないんだ、と。 確かにそういえるだろうし、体験がうけとりうるものは、結局のところ誤解でしかないかもしれない。 しかし、体験のほんとうの意味は、そうしたわかりっこなさ、つたわらなさ、誤解というものにどれだけ耐えられるかということからはじめてでてくるんだとおもうのです。 __ Link __ だから、体験を言葉にしてゆこうとすればじぶんの誤解をもとに体験にちかづいてゆくことの自覚がひつようだし、むしろそうしたみずからの誤解を引きうけ、そこをくぐりぬけてゆかないとどうしようもない、ということですね。 __ Link __ 体験を論じようとすると、なぜわたしたちはこれが正解の体験だというかたちで論じてしまいがちなのかとおもう。 しかし、ただ一つの正解をもとめるというしかたで経験をかんがえるということは、結局、体験しないものにかかわるということと、体験しなかったということに関係ないよ、という二分法をこしらえてあげてしまう結果になるのではないか。 事実、状況はそうなっているし、それこそが昨今いわれる体験の風化ということなんじゃないでしょうか。 わたしは、経験というものは、体験者が非体験者へつらなる道をさぐること、非体験者が体験者への想像力を獲得してゆくことの交差によって、はじめて経験とよべるものになってゆくんだとおもうんですね。 __ Link __
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太っている人、やせている人。
背の高い人、低い人。 色の黒い人、白い人。 そのなかに、手や足の不自由な人がいても、なんの不思議もない。 よって、その単なる身体的特徴を理由に、あれこれと思い悩む必要はないのだ。
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( クリーブランド )
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( ワトソン )
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