名言ナビ
→ 名言インデックス
メニュー
1.うしろ姿の充実している者は、人間としてほんものだな。舞台役者でもなんでも、名優といわれる人は、みな、うしろ姿が充実している。

2.不要の交友は、不要の出費。

3.知性には、活発な好奇心が必要とされる。しかし、それは特定の種類のものでなければならない。

4.学校は予備、社会が学校となるだらふ (ver.0)

5.相手の能力を知って教えを説く事は難しい。

6.音楽は恋愛に欠かせない。(ver.0)

7.三菱の創業者岩崎弥太郎を筆頭に三井、安田、住友の各財閥企業だって、明治の新興成金だ。戦後のナショナル、ソニー、ホンダだって同じだ。君等はその成金企業に使われていて、成金の悪口なぞ言えるか。

8.人間は、自分の背中を見ることができません。他人の背中は見えますが、自分の背中は見えないのです。自分では見えないものを背負って生きているのが、人間です。

9.一つの社会の財の価値は、結局はそこに生きる人々の価値から生まれる。

10.ホラなんか吹かずに、もっとさっぱりと単純な人になりましょう。

11.単純でない真実なんてない。

12.死なない老人朝顔がうごき咲(さき)

13.フツウの女の子は、抵抗力をかねそなえたやさしさを持ってほしいのである。

14.日向ぼこもまれて亡者(もうじゃ)はみ出しぬ

15.私は美といふものは、美価値以外の価値に於(おい)ては無価値のものと考へる。一種ニヒリスティックな静かな静かな美のみの美を信仰する。ここには道義も哲学も入れたくないのだ。

16.もしその仕事をしないでいたら「指摘される」からするというのではない。これが「熱中するということ」であり、自分の使命を全うするためには、誰もがもっていなければならないものなのである。

17.すぐれた作家が自分の表現意欲を十二分に満たそうとすると、古来の型には納まりきれなくなる。そこで型をはみだすことは作家としては当然あってよいのだが、俳壇では作家が同時に指導者なので、芭蕉が心配したよ……

18.時間のなかに、ふっと立ちどまって、ここにいない人(=死者)に問いかけて、自分に確かめて、ここにいない人と、語らうことができて、はじめて見えてくるものがあります。

19.孤独を友とした仕事と向き合った時間は、けっして自分を裏切らない。

20.卓越性の査定は、対象の特徴を見抜くための副次的な補助の一つにすぎない。

21.信念と不屈の魂があれば、普通の人にも人並はずれた素晴らしいことができる。

22.ストーブに貌(かお)が崩れていくやうな

23.ご無沙汰を 故人がつなぐ 葬儀場

24.上司が優位を保つために、自分の(既存の)仕事を(いつまでも)抱えていると、上司もレベルアップしないばかりか、部下を育てることもできない。

25.未来こそ過去を支配すべきものであり、われわれが過去に対してとるべき態度を指令するのは未来なのである。

26.人間は、自分の特技を生かす仕事をしてこそ、人の役に立てると思うんだ!

27.この上なく柔らかいものは、この上なく堅いものを、思いのまま動かすことができる。なぜなら、形のないものは、隙間のない所にも自由に入り込んでいけるからだ。このことから、“無為”の働きの大きさを知……

28.真上なる鯉幟(こいのぼり)まづ誘ひけり

29.空腹は狼を森の外へ追い出す。

30.理想の仕事についてちゃんとした考えを持っていないなら、物足りなさや取り残されたような思いを抱くだろう。

31.心優しきとき、心に触れるものあり。

32.輝きへの第一歩は、他人の評価ばかり気にせず、自分を信じることからスタートします。「自分を信じる」ということは、「自分の信念を持つ」ことです。そしてそれが可能になった時、はじめて他人を信頼する勇気が……

33.人がその心で考えること、それがその人である。

34.森林の豊かな国よ茸汁(きのこじる)

35.全体を見てゐたる目を初花(はつはな)に

36.笑いは客観的で、残酷で、そして死と裏腹をなしている。

37.無言の愛の表現など、いまだこの世に実証ゆるされていないのではないか。

38.「読書」が本という文化の経験をかたちづくる全部ではありません。「読書」というのは本を読むことですが、本を読むこと、「読書」を可能にしてきたのが「蔵書」です。私的に蔵書するというすぐれて個人的な経験……

39.勝者は知らずに憎しみの種をまき 敗者を苦しませる

40.感謝する心は、常に宇宙の無限の富に近いことを忘れるな。

41.物がいっぱい ありながら なにか不安で もの足らない もの足りない なぜ?

42.誰かのために流す涙は、決して恥ずかしいものじゃない。

43.一日をくださる神だもの、一日の糧(かて)もくださるだろう。

44.いつもお金のことを心配している人は、お金に振り回されています。収入や資産の規模に関係なく、お金の不安はその人の心を蝕みます。

45.正しい言葉はなぜかいつも遅れてあとからやってくる。

46.とんぼうや飯の先までひたと来る

47.私の詩の読者にのぞむ所は、詩の表面に表はれた概念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感触してもらひたいことである。

48.真実というものは、人がとらえうると思った瞬間に、真実でなくなっている。

49.明日は又明日の日程夕蛙(ゆうかわず)

50.なぜ金持ちは貧乏人に対してあんなに過酷なのか。貧乏人になる心配がないからだ。なぜ貴族は民衆をあんなに軽蔑するのか。決して平民になることはないからだ。

51.策略を巡らして相手を欺き、それによって勝利を得た場合は、正々堂々戦って勝つのと同様に賞賛されるべきである。

52.子供や部下に「自分は有能な人間だ」と思わせて自信をつけさせる一番確かな方法は、十分にほめることだ。だが、ただほめればいいというものではない。むやみにほめても、気持ちがこもっていないように感じられる……

53.一生の運転手は自分です。

54.ちちははの齢越えて日々短しや

55.決断をする。こうなればいいなという弱い望みではなく、決断したら二度と迷わないような強力な決断をし続けることで、巨人のパワーを得られる。

56.なにかが欠けているのだが、それがなんなのか、はっきりしない。それが今の時代かもしれない。〈ない〉ものが〈見えない〉世界、これはいささか暮らしにくい。

57.気弱い内省の窮極からでなければ、真に崇厳な光明は発し得ない。

58.夜の闇は「人間の友ではない」といわれるが、もっともである。実際、夜の暗闇の中では、あらゆる困難や暗影が、朝の光(新たな日はいつも新しい力ではじまる)のなかで見るよりも、はるかにおも苦しく見えるものだ。

59.うまくいっても、いかなくても、恋は、あなたの手に、きらきらひかる宝物を、必ず残してくれるから。

60.国家は共同の幻想である。風俗や宗教や法もまた共同の幻想である。国家成立の以前にあったさまざまな共同の幻想は、一つの中心に凝集していったにちがいない。

61.(自己の)変革体験はただ歓喜と(自己)肯定意識への陶酔を意味しているのではなく、多かれ少なかれ使命感を伴っている。つまり生かされていることへの責任感である。小さな自己、みにくい自己にすぎなくと……

62.どんなにひどい失敗をしたところで、明日が来なくなるわけではない。

63.親しい思いをもっていた人の死を知ったとき、不意に、その人と共有した時間の感覚が一瞬ありありとよみがえってくることがあります。死によって明るくされて、ずっと忘れていた大切な記憶のかけらに気づく。

64.一人の人間が生きるというのは、すごいことです。

65.春一番踊子草の乱舞あり

66.凡(およ)そ詩人を解するには、その努めて現そうとしたところを極めるがよろしく、努めて忘れようとし隠そうとしたところを詮索したとて、何が得られるものではない。

67.おぼしきこと言は(わ)ぬは腹ふくるるわざ

68.わが他に老人のゐぬ年忘れ

69.悪口を言われたら、柳に風と受け流す。自分が清らかで優しく毅然(きぜん)としていれば、送られた悪い念は相手に戻るのです。「念返し」です。

70.自分が世界のどこにもあてはまらない時、どうすればいい? 世界のカタチにあわせて自分を削るか、自分のカタチにあわせて世界を削るか。あんたはどうする?

71.才気走った妻は疲れた夫にとって刺激が強すぎ、情熱的な妻はわずらわしさを感じさせる。

72.転向の理論という様なものはない。現代人は、理論が信念を生むという妄想から逃れ難い。転向とはこの深い妄想から覚める事であり、理論の編成替えではない。

73.「こいつなら、どんなにしがみついても沈まない」 そう思うと、人は自力で泳ぐ事をやめてしまう。

74.夕陽はマジシャンだ。黙って、眺めているだけで、いつしか気もちの奥まで、あかあかと明るくされてゆく。やがて、ありふれた一日が、すばらしい一日に変わる。ありふれた出来事が、すばらしい記憶に変わるのだ。

75.「笑い」と「ユーモア」は違う。「笑い」っていうのは「声を出して」笑うこと。(中略)一方、「ユーモア」は辞書を引くと「上品な笑い」と書いてある。声を出すまでいかないんだけど、こう空気がフッと軽くなる……

76.失敗して、にっちもさっちも行かない状態には、誰だってなりたくありません。(しかし、挑戦して)そうなっても大丈夫なんだということを、社員にわからせなければなりません。難しいことですが、必要なこと……

77.勝者は勝者を、リーダーはリーダーを引き寄せるんです。

78.自己愛に終始した場合に悪をなし、他者を思うという愛に目覚めたときに善となる。善悪の分かれ目とは、自己を愛する「愛」と他を愛する「愛」のあいだにあるのです。

79.(※人生で)何かの楽しみの名残りがひと月保てばたいへんなものである。

80.海外旅行は私にとっての日曜日なんです。日ごろは過酷な日を送っておりますからな。旅は頭を使わんからいいです。足は疲れるけど、頭は疲れない。

81.尋ねたきことが一輪梅ひらく

82.文学研究においても、細部の考証、吟味ははなはだ精緻であるけれども、どういう方向から見ているのか、というパースペクティヴはかなりあいまいなままにされている。

83.いつの時代にもいろんなタイプの若者がいるのだから、どんな指摘もつねにだれかに当てはまります。世代論はいかがわしい演繹法の見本です。

84.たとえ後悔し苦悩する日が来たとしても、それに負けずに、そこを人生のターニングポイントにして、めげずに生きて行くぞという、そういう「覚悟」です。それさえしっかり身につけていれば、何があっても怖くはな……

85.資格というのは、ある目標をクリアするために自分でセットしたハードルみたいなものであり、 それで飯を食おうとは思わないほうがいいのだ。

86.やはり小説というものは、頭で考えてばかりいたって判るものではない。書いてみなければ。

87.ノスタルジアは、古き良き時代の粗削りな部分を取り除くためのファイルである。

88.本当の救いとは何か。性質が違い、考え方が違い、生き方が違い、年齢が違い、学歴が違い、性別が違う。その違った者同士がどこで一つ世界を共有するか。こういうことが一番大事なんです。

89.君主制が民主主義に変わったばかりなら、国民が政治に参加することは「権利」でよかったのですが、民主主義が定着してしまったら、「政治に参加する」は、もう「国民の義務」です。なにしろ、もう政治を担当する……

90.秋虹や草山映えて一とゝころ

91.批評とは生命の獲得ではないが発見である。

92.神は許されても、牛は許されない。

93.明日ありと誇るなかれ。如何(いか)なる日が来るか、汝(なんじ)、これを知らざればなり。

94.若いうちに非競争的な生活、コミュニティ、夢中になれるものを手に入れておく必要がある。それらのものが、仕事とは関係なく貢献と自己実現の場を与える。

95.遊び方のうまい人間は能率よく仕事をする。

96.苦手な人はいるが、そのことを長く考えるひまもない。自分が今この体でこの意識でこの場所に存在している期間の短さとそこに起きている奇跡を思うと、そんな時間がなくなってしまう。

97.自由に呼吸しているというだけでは、生きているとは言えません。(人の)何の役にも立っていない生活は、早い死と同じことです。

98.孝行は親がさしてくれて初めて子が出来るもので、子が孝するのでは無く、親が子に孝をさせるのである。

99.生きがひを問はれてさてと懐手(ふところで)

100.(交渉で)相手の抵抗を和らげる一番の早道は、親しい関係を築くことです。そうすれば、というより、そうすることで初めて、相手に影響力を発揮することができるのです。

101.隣人たちに恩恵を与えていても、その有用なことを信じてもらえないという不運な人々がいる。

102.問いをだす作家もあれば解答をだす作家もあるだろう。問いだけしかださない作家が解答をだす作家におとるということが、いったいそんなことが誰に言えるだろうか。

103.道に迷うことこそ、道を知ることだ。

104.自殺は臆病者のすることだと人は言う。それは間違いだ。自殺には大いなる勇気が要る。

105.われわれ(=小売り業者)も素人でなくてはいかん。玄人になったらいかん。

106.抗議の怒りがあるとき、信念を持ち、声を上げる報道機関が必要なのです。

107.動くのは自分。

108.もし、クレオパトラの道徳心があれほど低くなかったならば、世界の歴史は変わっていただろう。だからといって、彼女の鼻がさらに高くなることはなかったであろうが。(ver.0)

109.謙遜なる処女と、慎み深き妻と、注意深き主婦は、女の哲学者、夫を尻に敷く女、勇敢なる女王よりも、より多く人生に有用である

110.ふところに手紙かくして日向ぼこ

111.一年の計は麦を植うるにあり、百年の計は人を植うるにあり。

112.自分はたえず無視され、拒絶されていると感じるようだったら、それは、その人の中に拒絶や拒否を期待する「心理的に煮えたぎったもの」があるためである。

113.われら、奮起して励もう、いかなる運命にも勇気をもって。絶えず成し遂げ、絶えず追い求め、刻苦してあとは待つことを学ぼう。

114.健康も長寿も口ぐせから。

115.植物は霧の中でも曇り空の下でも、太陽を浴びている時と変わらず、確実に成長する。

116.ジャーナリストの書いたものは十二時間、一週間、一ヶ月の後には誰も殆ど手に取ろうとはせず、二度と繰返して読もうとはしないであろうが、しかし一度は必ず読ませるように書くというのがジャーナリストの才能で……

117.実行できないけれど わたしの一生の座右銘 自分をかっこよくみせようという気持ちを捨てること

118.垣間より隣あやかる牡丹(ぼたん)かな

119.誰かをしんどい立場に置き続けなければ維持されぬ構造をつくり出し、それを維持することによってウマミを得ているのは誰なのか? その構造を変えるために対面しなければいけない相手は誰なのか?

120.ことごとく枯木となりて鮮(あたら)しき

121.これまでとは違う関係のネットワークの中に置かれると、自分の経験の語り方が違ってくる。語り方が変わると、経験から汲み上げてくるものが変わってくる。それは自己物語に変化が生じたことを意味する。

122.戦争したがる奴は想像力が欠如しているんです。ボタンで済む戦争には、首が飛んだり、胴が千切れたりする姿が想像出来ないんです。

123.言語をつつしみて、無用の言(げん)をはぶき、言を少なくすべし。多く言語すれば、必ず気へりて、また気のぼる。甚(はなは)だ元気をそこなふ。言語をつつしむも、また徳をやしなひ、身をやしなふ……

124.戦争のないうちはわれわれは文明人であるが戦争が始まると、たちまちにしてわれわれは野蛮人になり、獣になり鳥になり魚になりまた昆虫になるのである。機械文明が発達するほどいっそうそうなるから妙である。

125.水木さんにも俗人が半分入っています。入ってないと描いたものも売れんです。皆で楽しむというのがないとね。

126.すべての他者を包み込む力と思いやる心を持ち、かつ自分の考えをきちんと持っていること。それが教養だ。

127.やめるのに適当な時機というものを見付けてからと思うと、いつまで待ってもその時機がくるものではない。

128.ハッピーな人の周りには、いつでもその人らしい風が吹いていて、周囲に幸せな空気が広がっていく。種類も形も違えど、きっと誰もが持っている幸せの種。

129.材料に対するするどい鑑識眼をやしなうことは、日本料理の場合は、基本の心構えであり、最高の教養でもあります。

130.企業家とは、資源に富を生む力を与える人たちのことだ。それだけだ。

131.説教、自慢話、思い出話、この3つは抑えていかないと、自分は伸びていかない。

132.何時迄(いつまで)も用かたづかぬ暑さかな

133.よそほへば病なきごと妻の秋

134.忍耐は満足に達する鍵である。

135.逃げると問題は、いよいよ大きな問題に思えてきます。

136.「人生はプラスマイナスゼロだ」って言う奴は、決まってプラスの奴なんだ。幸せな奴だから、そんな悟ったみたいな常套句を言えるんだよ。

137.富とは、手に入れるための単純な法則を理解し、それを守りさえすれば、いくらでも手にすることが出来るものである。

138.岩うらへ鶺鴒(せきれい)の来て現れず

139.無限という問題ほど、深く人の心を騒がせた問題はなかったし、無限という考えほど、強い有益な影響を理性の上に及ぼした考えはなかった。だが、他方では、無限の概念ほど解明を必要とする概念もないのである。

140.愛されることは嬉しいし愛させることは幸せだ。しかし愛されるという受動的な形は相手次第だから、待ちのぞんでも訪れないことがある。

141.湯豆腐の小踊りするや夜の酌

142.人を殺すことは自分が死ぬと同じほどの恐怖感がある。

143.人と比較をしたら必ず力んで固くなる。それは自分の負けです。

144.争いというものは、信用にもとづいた双方からのギブ・アンド・テイクなしには、決して解決しないことを、人生と歴史は流暢に証言しています。

145.カエルは怠けて仕事を翌日に延ばしたので、尻尾がなくなった。

146.惜しまれつつ辞めるというのはプロではない。それはアマチュアの考え方。

147.世の中の母というものは、皆、その子に甘い放心の憩いを与えてやっているものなのだろうか。そうだったら、これは、何を置いても親孝行をしたくなるにきまっている。

148.楽しいことは、みんないい事だとは思わないか? つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

149.雀チョンチョン 一所にとどまらない あのかるさをまなびたい

150.人間にとって大切なことは、誰もやったことのないことをやって失敗を経験することだ。しかし、それを生かさずに失敗を繰り返すようでは駄目で、失敗の経験はそれを生かすことによって貴重なものになる。

151.人ほどに寂しがらずに笹鳴ける

152.性格という先天性のものに哲学という後天性のものをつけ加えていくことにより、私たちの人格は陶冶(とうや)されていくわけです。

153.短詩型文学は、散文を読むように読んではいけないのである。そもそも「よむ」こと自体が詩となじまぬ。朗唱、朗詠すべきであろう。声にして、音にして、その響きが意識のほの暗い所をゆさぶる。いわば心で読む。……