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今日の
長田弘の名言
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11月17日
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1.
歌が刺激にすぎなくなっていって、音に隠されて、言葉が意味を失っていったときに、ジム・クロウチのしようとしたことは、言葉にせめて意味をかえして、人生の物語を人びとにかえすことだったと思う。
(
長田弘
)
2.
人は死ぬが、
よく生きた人のことばは、死なない。
(
長田弘
)
3.
もしきみが相手の愛を呼びおこすことなく
愛するなら、すなわち、きみの愛が愛として
相手の愛を生みださなければ、そのとき
きみの愛は無力であり、一つの不幸である。
(
長田弘
)
4.
碁石が相対するものの目前に置かれるように、詩という言葉は、相対するものの目前に置かれます。
それは孤独な言葉ではなく、相対する言葉、一対一の言葉です。
(
長田弘
)
5.
この世に足りないものなんて、何もないのだ。
(
長田弘
)
6.
平和という言葉は一人決めできない、一人じめできない言葉であり、むしろ平和ってどういうことだろう、という問いをふだんに共有してゆくための言葉だろう、というふうにおもうんです。
自明な言葉でも守る言葉でもなくて、それは問いをもってたがいにかかわってはじめて言葉であるような、そうした言葉ですね。
問いを分けあう開かれた関係を本質としてもっているという言葉ということです。
(
長田弘
)
7.
ことばのちからは、どれだけ沈黙をつつめるかで、どれだけ言い表せるかとはちがうだろう。
(
長田弘
)
8.
一人の感受性のかたちを決定的にするのは、
大仰(おおぎょう)な出来事なんかじゃない。
ありふれた何でもない日々の出来事が、
おもわず語りだすような言葉。
その言葉をどのように聴きとったか、
ということなのだ。
(
長田弘
)
9.
たとえ誤りにみちていても、
世界は正解でできているのでなく、
競争でできているのでもなく、
こころを持ちこたえさせてゆくものは、
むしろ、躊躇(ちゅうちょ)や逡巡(しゅんじゅん)のなかにあるのでないか。
(
長田弘
)
10.
「読書」が本という文化の経験をかたちづくる全部ではありません。
「読書」というのは本を読むことですが、本を読むこと、「読書」を可能にしてきたのが「蔵書」です。
私的に蔵書するというすぐれて個人的な経験が、いまはとても損なわれるものになっています。
(
長田弘
)
11.
物語を読むのはたのしい。
物語とは出会いだからだ。
物語のなかで未知の人に出会う。
読んでゆくうちにその未知の人がいつのまにか、よく知ったごく身近な仲間のように、もう一人の自分のように思えてくる。
(
長田弘
)
12.
「考えよ。
語れ。
行え。」
3つの動詞を、じぶんがどれだけ新しく、ゆたかに生きられるかどうか。
(
長田弘
)
13.
言葉は、自分が生まれる前からずっとあって、わたしたち自身より古くて長い時間をもっています。
ですから、わたしたちは言葉のなかに生まれてくる。
(一部順序入れ替え)
(
長田弘
)
14.
ひとは何をきっぱりと語れるのか?
(
長田弘
)
15.
食卓は、ひとが一期一会を共にする場。
(
長田弘
)
16.
山とともに毎日の感情があり、
山とともに季節が一つ、また一つ移ってゆく。
子どものわたしの記憶をゆたかにしてくれたのは、
そうした風景のなかの日々だ。
(
長田弘
)
17.
新しい真実なんてものはない。
(
長田弘
)
18.
今、目の前にある本は、
たまたま目に前にある本というのにすぎないのが
本の世界であり、
それだけに大事なのは、
自分で本と出会うということであり、
自分で本を探すということであり、
そうして自分で読むということです。
(
長田弘
)
19.
歩くことは、あなたが見知らぬ人びとや見知らぬものや自然を見てすぎながら、その人たちやものや自然から、言葉や形や色でもって語りかけられるということだし、つぎに、あなたのほうでもそれらに語りかけないわけにはゆかないということだ。
(
長田弘
)
20.
得たものでなく、
失ったものの総量が、
人の人生とよばれるものの
たぶん全部なのではないだろうか。
(
長田弘
)
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