名言ナビ
→ トップページ
今日の
長田弘の名言
☆
10月5日
☆
→ 日別名言メニュー
← 前日の名言
→ 翌日の名言
1.
言い切る、言い切れることは。
思い切る、思い切れるものは。
使い切る、使えることばは。
とことん無くし切る、無くせるものは。
それでもなお、その後に
のこってゆく、ごく僅(わず)かなもの。
はっきりと感じている。けれども、
はっきりと表すことのできないもの。
きっと、無言でしか表せない、
とても微(かす)かなもの。
冬の木漏れ日のような、
ある種の静けさのようなもの。
もしも、魂というものがあるなら、
その、何もないくらい、小さなものが
そうなんじゃないか。
(
長田弘
)
2.
読書というのは本来、そうしたちがった人びとのもつちがった言葉にむきあう一人の経験を土台としています。
(
長田弘
)
3.
木立の上に、
空があればいい。
大きな川の上に、
風の影があればいい。
花と鳥と、光差す時間、
そして、おいしい水があれば。
僅(わず)かなもの、ささやかなものだ、
人の生きる権利というものは。
(
長田弘
)
4.
余計な音がただの一つもあってはならぬ
だが、不足した音が一つもあってはならぬ
(
長田弘
)
5.
言葉というのは、(語彙の量ではなく)言葉の使い方の問題です。
自分がどういう言葉をどう使うか、その言葉のなかに自分をどう表現してゆくかが、これからの社会で一番重要。
(
長田弘
)
6.
名詞とは逆に、動詞がだんだん貧しくなっている。
ありあまる名詞ばかりの世にはばかる動詞は、一つだけだ。
名詞の次に「する」をくっつけた動詞だ。
つまり、名詞があらわしていることをするという動詞だ。
言葉のほとんどが、ただもう名詞でしかなくなっている。
(
長田弘
)
7.
言葉は、振舞いをもつ。
言葉というのは、生き方なのだ。
言葉を失うことは、その言葉によって生きられるような生き方もまた失われる。
(
長田弘
)
8.
本を閉じて、目を瞑(つむ)る。
おやすみなさい。すると、
暗闇が音のない音楽のようにやってくる。
(
長田弘
)
9.
詩の言葉は、
言葉でだけできているのは半分、
あとの半分は沈黙でできている。
(
長田弘
)
10.
空の青さが音楽だ。川の流れが音楽だ。
静寂が音楽だ。冬の光景が音楽だ。
シューベルトには、ものみなが音楽だった。
(
長田弘
)
11.
頭蓋骨のうつくしさを見たまえ
そこにはつねに指の痕がある
それを仕上げた、神々の指紋だ
(
長田弘
)
12.
いま、ここという感覚が失われてしまえば、じぶんなんてものは、あっさり見失われてしまうのだ。
(
長田弘
)
13.
言葉の表情や身振りのなかに、物事のディテールのなかに、本質はさりげなくあらわれる。
(
長田弘
)
14.
親しい思いをもっていた人の死を知ったとき、不意に、その人と共有した時間の感覚が一瞬ありありとよみがえってくることがあります。
死によって明るくされて、ずっと忘れていた大切な記憶のかけらに気づく。
(
長田弘
)
15.
理解されるために、ことばを使うな。
理解するためにことばを使え。
(
長田弘
)
16.
幸福かと訊(き)かれたら、
誰だって、戸惑い、ためらう。
幸福は答えではないからである。
幸福は状態でないからである。
感情でなく価値でないからである。
幸福は定義だからである。
(
長田弘
)
17.
読み終えて終わるのでなく、読み終えたところからはじまる、もう一つの読書がある。
そのようなもう一つの読書が、わたしには旅だった
(
長田弘
)
18.
快活であることができない。
それが、わたしたちの
不幸のすべてだ。
(
長田弘
)
19.
子どもが自分(のため)に求めるのは、自分を元気づけてくれるもの、しかし大人たちはもうそんなものはいらないとだれもが思い込んでいるもの、もしこういう言葉で言っていいのなら、子どもたちにとっての理想主義です。
(
長田弘
)
20.
花瓶や果物を描くのはどういう欲求によるかというときには、
自分の心のさまを描くのではなくて、
自分の前にある自分の生活をつくっている、あるいは人生をつくっている、そのものを描き取ると、
どういうものが自分の中に開けてくるか
ということじゃないかと思うんです。
(
長田弘
)
← 前日の名言
→ 翌日の名言
→ 日別名言メニュー
→ 今日の名言(テーマ別)
→ 今日の名言(星 座 別)
→ 今日の名言(血液型別)
→ 日別の名言(テーマ別)
→ 日別の名言(星 座 別)
→ 日別の名言(血液型別)
→ トップページ