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今日の
長田弘の名言
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12月15日
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1.
それぞれの生き方をつくりだすものはそれぞれの身に付いた習慣であり、習慣とよばれるそれぞれの日々の在り方であり、それぞれの自分の人生の時間の使い方である。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
2.
樹を見ることは、樹を見上げることだった。
樹を見上げることは、樹の下に立ちどまることだった。
樹の下に立ちどまることは、時間のなかに立ちどまることだった。
時間のなかに立ちどまることは、黙ることだった。
黙ることは、聴くことだった。
聴くとは、樹のことばを聴くことだった。
樹のことばを聴くことが、樹を見ることだった。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
3.
誰もがよそよそしく生きることに慣れすぎていて、生身のじぶんをつくっている単純な感情のもつ力に向き合わない。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
4.
人ひとりいない風景は、
息をのむようにうつくしい。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
5.
石川啄木が「ふるさとの山に向かひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」と歌った「山」は、山すなわちふるさとであり、ふるさとすなわち友人です。
そこにずっとある山が、「石をもて追はるるごとくふるさとを出でし」啄木には、終生の友人でした。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
6.
書くとはじぶんに呼びかける声、じぶんを呼びとめる声を書き留めて、言葉にするということである。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
7.
(家庭における)子どもに対する教え方というのは、それぞれの日々のあり方の中で、教えるということ。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
8.
古本屋には、本の声を「聴きに」いった。
黙りこくっている本のあいだに、ここにいると、こちらに語りかけてくる本がある。
ない本を探しにゆくのでなく、そこにある本の声を聴きにゆく。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
9.
いまは名詞がおおすぎる。
そして動詞がすくなすぎる。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
10.
人びとが本を読まない時代に、人びとのあいだに失われるのは友人を見つける能力です。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
11.
どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。
どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
12.
生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
13.
たがいの人間関係がすべてであるような毎日を前にすると、風景はそうした毎日の背景のようでしかなくなりがちです。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
14.
書かれた文字だけが本ではない。
日の光り、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。
ブナの林の静けさも、
ハナミズキの白い花々も、
おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
15.
日々にあってひとを活かしているのは、
どうということもないものだ。
日々を横切る明るい無名の一瞬の記憶なのだ。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
16.
音楽を聴きながら居眠りするときは、
幸福である。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
17.
歴史があたかも風物詩のようにしか語られなくなることのふしぎさが、この国ではめったに糺(ただ)されることがない。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
18.
徒(いたず)らにことばで語ってはいけないのだ。
花たちのように、みずからの
在り方によって語るのだ。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
19.
キオクヲ ソダテルノハ コトバ デス
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
20.
嫌いなのは「二者択一」という考え方。
物事をどっちかを選ぶ、いいか悪いかを選ぶというのではなくて、いいことの中にも悪いことがあり、悪いことの中にもいいことがある。
そういう中であんばいを測りながら動いていく言葉がある。
(
長田弘
)
(
Osada Hiroshi
)
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