名言ナビ
→ トップページ
今日の
長田弘の名言
☆
3月24日
☆
→ 日別名言メニュー
← 前日の名言
→ 翌日の名言
1.
島国ということは、
川を源から河口まで持っている国ということなんです。
(
長田弘
)
2.
聴くことは、愛することである。
(
長田弘
)
3.
今日、ひつようなのは、一日一日の、
静かな冒険のためのことば、祈ることばだ。
(
長田弘
)
4.
一人の日々を深くするものがあるなら、
それは、どれだけ少ない言葉でやってゆけるかで、
どれだけ多くの言葉でではない。
(
長田弘
)
5.
不幸とは何も学ばないことだと思う
(
長田弘
)
6.
しばしば、体験は言葉にはならないんだということがいわれる。
わかりっこないんだ、と。
確かにそういえるだろうし、体験がうけとりうるものは、結局のところ誤解でしかないかもしれない。
しかし、体験のほんとうの意味は、そうしたわかりっこなさ、つたわらなさ、誤解というものにどれだけ耐えられるかということからはじめてでてくる。
(
長田弘
)
7.
小さな微笑みは「奇跡」である。
小さな微笑みが失われれば、世界はあたたかみを失うからだ。
(
長田弘
)
8.
きみは愛をただ愛とだけ、
信頼をただ信頼とだけ、交換できるのだ。
(
長田弘
)
9.
ぼくらの一日にひつようなのは
お喋りじゃない。
(
長田弘
)
10.
わたしたちの中にいる自分は、
言葉をもたない自分です。
あるいは、言葉に表すことのできない自分です。
そうした無言の自分を、
どんな言葉よりも雄弁に、もっとも的確に、もっともよく語ってくれるような
親しい物、なじんだ物、懐かしい物、
そうした物が何か。
それがその人の、その人らしさそのものを顕わすものであるということ。
ちょうど、死者があとに遺す形見とよばれるものが、
その人のその人らしさを宿す物、
その人の記憶をとどめる物であるように。
(
長田弘
)
11.
言葉に力があるとすれば、それは、言葉のむこうがわにあるものを想像させる力、欠けたるものへの想像力にささえられてなんだということ。
(
長田弘
)
12.
感情ではない。感覚を研ぐのだ。
(
長田弘
)
13.
書店で、あるいは図書館で、わたしたちが本棚に見ているのは、ほとんどが本の背中です。
本は顔を見るのではなくて、背中を見るものなのです。
(
長田弘
)
14.
言葉と料理は、いつでも一緒だった。
料理は人間の言葉、そして言葉は人間の食べものなのだ。
(
長田弘
)
15.
研がざれば光なしと言うが、感受性もおなじだ。
秘境も絶景もないが、遠くの街の日常を訪ねる旅の時間には、じぶんの感受性を更新できる、不思議な時間が隠れている。
(
長田弘
)
16.
樹を見ることは、樹を見上げることだった。
樹を見上げることは、樹の下に立ちどまることだった。
樹の下に立ちどまることは、時間のなかに立ちどまることだった。
時間のなかに立ちどまることは、黙ることだった。
黙ることは、聴くことだった。
聴くとは、樹のことばを聴くことだった。
樹のことばを聴くことが、樹を見ることだった。
(
長田弘
)
17.
今日の時間というのは季節を持たない時間、時計が刻む時間です。
近代が作ってきた社会というのは、時計が刻む時間を元にしてきました。
(
長田弘
)
18.
私たちは、宇宙の小さな物体の上に、
取るにたらない点のようなものの上に住んでいるのだから。
(
長田弘
)
19.
おやすみなさい希望を数えて
(
長田弘
)
20.
感受力というのは、だれかに教えられて育つというものではなくて、自分で、自分の心の器に水を入れてやってしか育たない、そういうものです。
(
長田弘
)
← 前日の名言
→ 翌日の名言
→ 日別名言メニュー
→ 今日の名言(テーマ別)
→ 今日の名言(星 座 別)
→ 今日の名言(血液型別)
→ 日別の名言(テーマ別)
→ 日別の名言(星 座 別)
→ 日別の名言(血液型別)
→ トップページ