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今日の
長田弘の名言
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8月17日
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1.
いい椅子を一つ、自分の日常に置くことができれば、何かが違ってきます。
その何かが、じつは、読書というものが、わたしたちにくれるものなのです。
そうすれば、それぞれの人生の過ごし方はずいぶん違ってきます。
たとえば、いい膝掛けが欲しくなる。
あるいは、空を見たくなる。
(
長田弘
)
2.
空言、歓ビヲ成サズ。
きれいな沈黙でつくられるきれいな余白を、いつも一人のじぶんのうちにたもつこと。
(
長田弘
)
3.
わたしたちは日本という国に生まれたと思っていますが、そうではなく、日本語という言語のなかに生まれたのです。
(
長田弘
)
4.
感情ではない。感覚を研ぐのだ。
(
長田弘
)
5.
ここにいない人と話すこと。
死者と語らうこと。
黙って、語らうこと。
黙って語らうというのは、いまここにいない人にむかって、問いかけるということです。
(
長田弘
)
6.
人生は、ほんとうは完成であるべきだ。
ところが、子供の時代のうつくしい詩を
人生は一行一行消し去ってゆくのだ。
(
長田弘
)
7.
「間」とか「呼吸」とか「気配」とか、
活字にあらわれない表現が、
口をとおすと、はいってくる。
(中略)「語り口」をつかまえて読むと、
遠いとおもってる本だってちかづいてくる。
(
長田弘
)
8.
本が個々人の読書のための本でなく、情報のデータのための本のようになって、次第に読書の習慣が失われてきた。
(
長田弘
)
9.
開けると、ここではないところへゆける。
閉じると、ここにもどってくる。
本。
きみのドア
(
長田弘
)
10.
日本語の漢字はわたしたちのなかに、連想する力をふんだんに育ててきたけれども、カタカナのことばはことばの地下茎がもともと断ち切られてしまうため、なかなかそうはゆかず、ことばによる連想の力、イメージをゆたかにつらねてゆく力を、どうしても殺いでしまいやすいのです。
(
長田弘
)
11.
学ぶとは感受性をきたえるということだ。
(
長田弘
)
12.
人間が自分の見えないもの見る方法として本というものものを必要としている。
(
長田弘
)
13.
すぐれたものはありふれたものだ。
(
長田弘
)
14.
街歩きに、目的はありません。
(
長田弘
)
15.
おおきな樹のある街の通りはうつくしい。
(
長田弘
)
16.
平和という言葉は一人決めできない、一人じめできない言葉であり、むしろ平和ってどういうことだろう、という問いをふだんに共有してゆくための言葉だろう、というふうにおもうんです。
自明な言葉でも守る言葉でもなくて、それは問いをもってたがいにかかわってはじめて言葉であるような、そうした言葉ですね。
問いを分けあう開かれた関係を本質としてもっているという言葉ということです。
(
長田弘
)
17.
どんなにおカネをもっていても、おカネで買えないものが、言葉です。
(
長田弘
)
18.
まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
きみは、そのことに気づいていたか?
(
長田弘
)
19.
歌は人びとの記憶がそこにある場所です。
(
長田弘
)
20.
料理に大切なのは、いま、ここという時間だ。
新鮮な現在をよく活かして食卓にのせる。
それが料理というわざだ。
(
長田弘
)
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