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今日の
長田弘の名言
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9月24日
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1.
言葉のゆたかさというのは、たくさんの言いまわしをあれこれ揃えることではありません。
美辞麗句は言葉のゆたかさを意味しないのです。
むしろ限られた言葉にどれだけ自分をゆたかに込められるかが、言葉にとっては重要なのです。
(
長田弘
)
2.
読書について、
「どういう本を読んだらいいのか」という質問は、
じつに不要な質問なのです。
(
長田弘
)
3.
雨上がりの緑の木々くらいうつくしいものはないと感じるのは、どうしてだろう。
木の葉から落ちる水玉に魅せられるのは、どうしてだろう。
(
長田弘
)
4.
学ぶとは感受性をきたえるということだ。
(
長田弘
)
5.
あなたが誰だったにせよ、あなたが
生きたのは、ぎこちない人生だった。
わたしたちとおなじだ。
どう笑えばいいか、
どう怒ればいいか、あなたはわからなかった。
(
長田弘
)
6.
親しい仲にも秘密がある。
ひとの秘密には手をふれてはいけないのだ。
(
長田弘
)
7.
今日、街で、もっともむずかしいこと。
顔をあげて、おもわずそのひとの人格を感じさせるような顔に出会うこと。
そしてまた、見知らぬひとの気もちのいい微笑に出会うこと。
(
長田弘
)
8.
言葉で自分をどうゆたかにできるか、ではなく、自分は言葉をどうゆたかにできるか、なのです。
(
長田弘
)
9.
読書と情報は、一見とてもよく似ている。
似ているけれども、おたがい似て非なるものです。
読書は情報の道具ではないし、情報によって読書に代えるというわけにはゆかないからです。
(
長田弘
)
10.
一番大切なことはすぐ足元にある、
あるいはすぐ目の前にある。
(
長田弘
)
11.
音楽をじぶんに強いているときは、疲労している。
(
長田弘
)
12.
「なぜ」と元気にかんがえるかわりに、「そうなっているんだ」という退屈なこたえで、どんな疑問もあっさり打ち消してしまうようになったとき。
・・・そのときだったんだ。
そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。
(
長田弘
)
13.
ことばでしか書けない光景があります。
目には見えない光景。
けれども、心にはっきりと映って見える光景。
そのような、ことばにしなければ伝えられない、心の目に見える光景をくっきりと描きとったことば。
いつもおなじような毎日の風景がちがって見えてくる。
それがことばの力です。
(
長田弘
)
14.
「間」とか「呼吸」とか「気配」とか、
活字にあらわれない表現が、
口をとおすと、はいってくる。
(中略)「語り口」をつかまえて読むと、
遠いとおもってる本だってちかづいてくる。
(
長田弘
)
15.
大事なのは、歌じゃない。
歌がつくりだすもの、だ。
(
長田弘
)
16.
時に自分との闘いだったり、
自分で自分を励ますことだったり、
本の言葉の向こうに、
つねにもう一人の自分を見いだしていくのが読書。
(
長田弘
)
17.
いつの世にも、樹は画家たちによって、それこそ描き尽くされるくらい、描きつづけられてきた。
どんなに遠くまでいっても、未知の驚きはないと思われてもきた。
違っていた。
まだほんとうの驚きがあった。
ずっと身近なところに。
誰もが経験できるところに。
樹下に。
(
長田弘
)
18.
「読書」が本という文化の経験をかたちづくる全部ではありません。
「読書」というのは本を読むことですが、本を読むこと、「読書」を可能にしてきたのが「蔵書」です。
私的に蔵書するというすぐれて個人的な経験が、いまはとても損なわれるものになっています。
(
長田弘
)
19.
戦争のない日常の平凡な時間のうつくしさこそ、かけがえのない「人間の慰み」であり、わたしたち自身の手にとりかえすべき大切なものである。
(
長田弘
)
20.
日々にごくありふれた、むしろささやかな光景のなかに、わたし(たち)にとっての、取り換えようのない人生の本質はひそんでいる。
それが、物言わぬものらの声が、わたしにおしえてくれた「奇跡」の定義だ。
(
長田弘
)
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