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今日の
読書に関する名言
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5月23日
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1.
今、目の前にある本は、
たまたま目に前にある本というのにすぎないのが
本の世界であり、
それだけに大事なのは、
自分で本と出会うということであり、
自分で本を探すということであり、
そうして自分で読むということです。
(
長田弘
)
2.
いまは小説など「散文」しか読まない人が大多数。
「散文」は、伝達のために生まれた。
「詩」は個人の心の奥底の声を示す。
いまは社会の圧力が強まり、
個人が希薄になった。
(※そのため詩は読まれなくなった)
(
荒川洋治
)
3.
読みさして手をぬくめては寝つつ読む
(
篠原梵
)
4.
読書は、
密林で、猛獣に追い掛け回されながら、
見たこともない昆虫を捕獲するのによく似た行為です。
その一匹一匹との遭遇が、
読書です。
(
荒俣宏
)
5.
蔵書家はかならずしも多読家ではありません。
(
加藤周一
)
6.
意味の対立する言葉の組み合わせを多く覚えておくと、
様々な物語や批評が理解しやすくなる。
(
石原千秋
)
7.
学者たちの書斎での読書も、
基本的には緑陰の読書と同じはずであって、
万が一、それが学問に必要な別のものだとされるならば、
学者たちは本当の意味での読書をしていないだけの話である。
かれらは残念なことに
何かに気をとられて、
子供がわれを忘れて本に読み耽る、
あの無心さを失っているのだろう。
(
保苅瑞穂
)
8.
よい言葉の一句は、
悪い本の一冊にまさる。
(
ジュール・ルナール
)
9.
私は手あたりしだいに本を読むが、
私の中の流行りすたりが激しく
全ての書物は汽車から見た風景のように
ぐんぐんすっとんで行ってしまうのである。
特別に執着するという事がないのは
浮気女かすけべ男と同じである。
(
佐野洋子
)
10.
読書するとは、
偉そうな物言いをもとめることでも、
大それた定理をさがすことでもなく、
わたしをして一人の「私」たらしめるものを再確認して、
小さい理想をじぶんで更新するということです。
(
長田弘
)
11.
本を読むことには、何か辛いものがある。
よい本はよい本なりに、悪本は悪本なりに。
多分、言葉の毒に中毒するのだろう。
いや、言葉だけではなく、絵や写真にも毒はあり、それにも(自分という)存在の一番深いところを刺し貫かれることがある。
(
車谷長吉
)
12.
(死期が近づいて)あわてて宗教書や哲学書をひもといても間にあわない……、と思っている。
ドッコイ、間にあって鮮やかに死んで見せる人もいる。
(
永六輔
)
13.
読書百遍義おのずからあらわる。
( 「魏書(ぎしょ)」 )
14.
書籍ほど信頼できる友はいない。
(
ヘミングウェイ
)
15.
たとえまったく覚えていなくても、しかしこれは自分が呼吸した空気である、言葉であるということを、よみがえらせてくれる本があります。
そういう本の記憶をどれだけ自分のなかにもっているかいないかで、自分の時間のゆたかさはまるで変わってきます。
(
長田弘
)
16.
書物はしばしば「偉大な小人物」を作るが、人生の方はしばしばもっと素晴らしい「俗悪な大人物」を作ってくれるのだ!
(
寺山修司
)
17.
読書尚友(しょうゆう)は君子の事なり
(
吉田松陰
)
18.
書物は友人と同様、数少なくあるべきであり、そしてよく選択されるべきである。
(
トーマス・フラー
)
19.
本当の書物とは網のようなもので、言葉がその網の目の一つ一つを作っているのである。
網の目がどのようにできているかは、どうでもよい。
大切なのは、漁師が海の底から引き上げる生きた獲物、網の目の間に光って見えるあの銀鱗のきらめきなのである。
(
サン・テグジュペリ
)
20.
本が父親となれば、たとえばシェイクスピアはホラ吹き親父、モリエールはおもしろ親父、ドストエフスキイはおしゃべり親父、そしてトルストイは説教親父である。
(
井上ひさし
)
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