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今日の
長田弘の名言
☆
8月14日
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1.
いまは名詞がおおすぎる。
そして動詞がすくなすぎる。
(
長田弘
)
2.
花瓶や果物を描くのはどういう欲求によるかというときには、自分の心のさまを描くのではなくて、自分の前にある自分の生活をつくっている、あるいは人生をつくっている、そのものを描き取ると、どういうものが自分の中に開けてくるかということじゃないかと思うんです。
(
長田弘
)
3.
今日、ひつようなのは、一日一日の、
静かな冒険のためのことば、祈ることばだ。
(
長田弘
)
4.
考えることが快楽でない人は
考えない。考えさせない。疑わない。
(
長田弘
)
5.
いい本というのは、そのなかに「いい時間」があるような本です。
読書という営みがわたしたちのあいだにのこしてきたもの、のこしているものは、本のもっているその「いい時間」の感触です。
(
長田弘
)
6.
あらゆる面で不都合がすくなくなって、不自由さにくるしめれることがなくなった。
代わりにだた一つ、とんでもないものを手に入れた。
それが孤絶感です。
(
長田弘
)
7.
忘却の練習をしよう。
むかし、賢い人はそう言った。
何のために?
魂をまもるために。
(
長田弘
)
8.
ありふれた真実がないがしろにされて、何事につけ、価値というものがもっぱら「例外」にもとめられるとすれば、それはひとの心根の貧しさを明かしこそすれ、ひとの気もちをゆたかにすることはない。
(
長田弘
)
9.
天井が高いこと。
暗すぎず、また明るすぎないこと。
立ったままならば、よく使いこまれたカウンター、テーブルならば、磨きこんだ古い木のテーブルに、坐り心地のいい木の椅子があること。
(中略)目をあげて、奥行きのかんじられる空間のあること。
(
長田弘
)
10.
ホンモノじゃないとだめだということに囚われると、ニセモノをホンモノといいたてるイカサマに往々にして囚われるようになる。
(
長田弘
)
11.
記憶というのは、
もとのものをそのままにたもつのではなく、
もとからのものを、
じぶんの心のかたちにしたがって、
ゆっくりと変えてゆく。
(
長田弘
)
12.
情報がふえればふえるほど、逆にコミュニケーションはすくなくなってゆく。
あるいは浅く、小さくなってゆく。
(
長田弘
)
13.
いま街にある言葉の多くといえば、禁止の言葉だ。
ここもそこもいたるところ、まわりは禁止、禁止、禁止。
いつでもどこででも、目に禁止の言葉がとびこんでくる。
それもほとんど命令、脅しにちかいような殺伐たる言葉の貼り紙、立て札が目立ってふえた。
街が、いつのまにか禁礼だらけの街になっている。
(
長田弘
)
14.
いい音楽を聴いてたのしいときは、健康である。
(
長田弘
)
15.
わたしが本について、(語っているの)ではなく、わたしが本によって語られている。
(
長田弘
)
16.
どれほど時代が変わろうと、
ひとはこの世に、
原初のままに生まれます。
そうして、誰もがこの世でじぶんが最初の人間であるかのように、
大気を息し、声を発して、ことばを覚え、
やがて、みずからじぶんの現在を生きる一人になってゆきます。
育つというのは、
原初から現在への時間を、
ひとが一心に、ふかぶかと生きてゆくということです。
(
長田弘
)
17.
子どもとしてのじぶんを見つめながら、ひとは大人というもう一人のじぶんになる。
大人のじぶんのなかには、じぶんがずっと見つめてきた子どものじぶんがいます。
あるいは、大人のじぶんをずっと見つめている子どものじぶんがいます。
(
長田弘
)
18.
いつかはない
いつかはこない
いつかはなかった
(
長田弘
)
19.
幸福とはとんでもないものじゃない。
それはいつでもきみの目のまえにある。
なにげなくて、ごくありふれたもの。
誰にもみえていて誰もがみていないもの。
たとえば、
テーブルの上の胡椒入れのように。
(
長田弘
)
20.
先刻までいた。今はいない。
ひとの一生はただそれだけだと思う。
ここにいた。もうここにはいない。
死とはもうここにいないということである。
(
長田弘
)
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