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知的に関する名言
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101−116
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101.
創造的乱談かどうかは、
その場の笑いによってはかられる。
知的笑いは、
小発見の前触れのようなもので、
貴重である。
(
外山滋比古
)
(
Toyama Shigehiko
)
102.
知的にマメか、怠惰か。
その差が収入を大きく左右する。
(
大前研一
)
(
Oomae Kenichi
)
103.
(面白くない、嫌な)本に義理立てして
読破、読了をしていれば、
もの知りにはなるだろうが、
知的個性はだんだん小さくなる。
(
外山滋比古
)
(
Toyama Shigehiko
)
104.
途中で間違いに気づいたならば、
すべてを白紙の状態にして、
違う仮説に立って
ゼロから考え直さなければなりません。
ところが、「知的に怠惰」な人間は、
このオールクリアができません。
失敗(=失敗の確定)を恐れるから、
自分の間違いを認めようとしないのです。
(
大前研一
)
(
Oomae Kenichi
)
105.
これは純文学の復権をめざす試みであるとか、
これはよく書けているが所詮は大衆小説にすぎんとか、
型通りの批評家の口跡(こうせき)をまねるわけだ。
自分が自分なりの立場で何をどう楽しんだのか、
知的な意味にせよ、感情的な意味にせよ、
なにか身の養いになるものを得たのかどうか、
全然気づきもしない。
当人はそれが読書だと思い込んでいるんだろうがね、
じつは本を分類しているにすぎない。
(
谷沢永一
)
(
Tanizawa Eiichi
)
106.
小説にしろ評論にしろ、
中年以降に新たな感動や刺激を求めても、
あまりうまくいきません。
それより、
かつて自分を揺るがす知的体験を与えてくれた本を、
あらためて味読してみるのです。
(
外山滋比古
)
(
Toyama Shigehiko
)
107.
人生も終わりに来ると、人は
何かむき出しで本質的なものに、
知的で難解な問いかけはいっさい必要としない、
一つの単純な形に到達する
(
バルテュス
)
(
Balthus
)
108.
芸の修得は知能では得られないが、
芸の創造には、知的閃きが重要であり、
日常における芸への情熱が
はげしく燃焼している人たちにとっては、
知的閃きは、忽(すなわ)ち造形と色彩になるのである。
心眼が開けるのである。
(
西山松之助
)
(
Nishiyama Matsunosuke
)
109.
見出しで、記事内容を推測するのは
かなりの知的作業であるが、
頭のはたらきをよくする効果は小さくない。
(
外山滋比古
)
(
Toyama Shigehiko
)
110.
テレビは
新聞より現実のリアリティに近いけれども
それだけ浅くなりやすい。
新聞は読むのに
想像力、理解力、判断力などをより多く要請する。
それだからこそ、
音声、映像とは異なる知的興味を満たし得るのである。
(
外山滋比古
)
(
Toyama Shigehiko
)
111.
余計なことは考えず、
ただ、浮世ばなれたことを話し合っていると、
本を読んでいるときとはまったく違った
知的刺激をうける。
もともと人間はそうなっているのであろう。
そういう“おしゃべり”で賢くなり、
未知を拓いてきたのである。
(
外山滋比古
)
(
Toyama Shigehiko
)
112.
知的な活動の根本は、
記憶によって得られる知識ではありません(実生活に根ざした知識です)。
生活から離別した知識は、
むしろ考える力を低下させるおそれさえあります。
(
外山滋比古
)
(
Toyama Shigehiko
)
113.
知的環境としては、
住めば都、は
もっともまずい状態なのである。
行きずりの旅人として見た場合には、
(そこに)おもしろいものが見られても、
住みつくと、見えなくなる。
(
外山滋比古
)
(
Toyama Shigehiko
)
114.
どんな小さなことでもいい。
自分の生活の中にひそんでいる
未知のものを見つけ出して、
それをもとに自分の“知見”を創出する──
これが、“知的”である。
(
外山滋比古
)
(
Toyama Shigehiko
)
115.
気のおけない小グループの談笑は
ときとして発見の前触れになる。
笑いは知的爆発のあかしのようなもので、
決して不真面目ではない。
(
外山滋比古
)
(
Toyama Shigehiko
)
116.
知的な要因と情緒的な要因が新しい数学理論の根底にある。
美にも芸術にも心ひかれない人、貧弱な精神生活を送っている人は、数学に対して何も寄与しないだろう。
( M・ザリツキー )
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