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今日の
寺山修司の名言
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2月16日
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1.
短歌形式がつねに自省をともなった事実信仰を前提にしていたのは「そうであった自分」の呪縛からのがれられなかったからだと言ってもいいだろう。
(
寺山修司
)
2.
救済というのは、集団の中で発揮される個人的なエゴイズムにすぎない。
だれが、欠けた茶碗を、枯れた一本の木を〈救済〉などできるものか。
(
寺山修司
)
3.
男は誰でも故郷をもっている。
それは女にはないものである。
(
寺山修司
)
4.
この世でいちばん遠い場所は
自分自身の心である
(
寺山修司
)
5.
人は「時を見る」ことなどできない。
見ることができるのは、「時計」なのである。
(
寺山修司
)
6.
たとえば書物とは「印刷物」ばかりを意味するものではなかった。
街自体が、開かれた大書物であり、そこには書きこむべき余白が無限に存在していたのだ。
かつて、私は「書を捨てよ、町へ出よう」と書いたが、それは「印刷物を捨てよ、そして町という名の、べつの書物を読みに出よう」と書き改められなければならないだろう。
(
寺山修司
)
7.
ソレルスの「暴力論」ではないが、反戦とは「反戦についてのシンポジウムをする」ことなどではなく、自らの手で戦争の息の根を止めるための「具象的行為」をなすべきである。
(
寺山修司
)
8.
夕方の「さよなら」はお互いの顔を見ないで、たとえば、空を見たりすることがある。
だから夕焼けの赤さだけが二人の心に残るのである。
(
寺山修司
)
9.
闇というのは、今までは
光を引き算して作っていくものだ、
つまり光の欠落した状態だと考えられてきたけど、
そうじゃなくて、
今ある光の状態に暗黒をプラスして生成するものですよ。
つまり暗闇は生産であり、余剰のものであるべきだ。
そのなかでは言葉もふくらんでいくべきである。
(
寺山修司
)
10.
人間同士の葛藤(かっとう)のドラマは結局、人間を超えることは出来ないが、偶然との葛藤である競馬は、まるで「神の意志」とのたたかいのように思われたのである。
(
寺山修司
)
11.
この世界では、
まっすぐの道はすべて迷路なんだ。
なぜなら、まっすぐの道は、
どこまでも歩いてゆけば、
必ずもとの場所に戻ってくる。
何しろ、地球は球体をしているからね。
(
寺山修司
)
12.
自由というのは、もはや、不自由の反対語ではないのである。
(
寺山修司
)
13.
男は生涯に一回だけ勝負すればいいのだ。
(
寺山修司
)
14.
「詩」もことばだと思ってはいるが、やっぱりことばではないのではないか、と思うことがある。
詩はことばに毒されてはいるけれども、素朴に言えば、イマジネーションの世界なのである。
(
寺山修司
)
15.
「不貞」とは、二人の関係のなかでのみ、その罪ふかさを値ぶみされるものである。
(
寺山修司
)
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