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今日の
寺山修司の名言
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1月31日
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1.
私は、夜死んでゆく勝負師というのは、きらいである。
王者が死ぬのには朝がいちばんふさわしい。
(
寺山修司
)
2.
何かを「あらわす」ために用いられる言語は、何かを「かくす」ためにも用いられる。
(
寺山修司
)
3.
貞淑(ていしゅく)さを失った関係はわびしいが、貞淑をいつも必要としている関係は、もっとわびしい。
私有しなければ貞淑さなど問題にならぬことなのだ。
(
寺山修司
)
4.
教育は与えるものではなく、受けとるものである、
と思えば、
人生いたるところに学校ありで、
ゲームセンターにも競馬場にも、映画のスクリーンの中にも、歌謡曲の一節にも、
教育者はいるのである。
(
寺山修司
)
5.
夢の中で、夢を見たわ。
「夢だと思っていたことが現実で、現実だと思っていたことが夢だった」という夢なの。
(
寺山修司
)
6.
かつての時代にあっては、「自分にかわるべき」戦士は代議士であった。
しかし、政治というジャンルは決して彼らの内部生活を救済してはくれなかった。
それどころか政治は空しく彼らを裏切り、同時代人たちはスチュアート・ホルロイドではないが「政治を通さずに社会を変える」べき、べつの代理人を探さなければならなくなったのである。
(
寺山修司
)
7.
夢でない現実などあるものか!
現実でない夢があるものか!
(
寺山修司
)
8.
サディストは相手をいじめるための工夫を必要とし、鞭(むち)打ったり、縛ったりするために、労働を余儀なくされる。
サディズムは、労働の快楽であり、くたびれることである。
(
寺山修司
)
9.
私たちは「正義」が政治用語であると知るまで、長い時間と大きな犠牲を払わねばならなかった。
(
寺山修司
)
10.
人は誰でも他人の黒衣(くろこ)。
操ってると思っても、操られている。
阿呆(あほ)のからくり糸車
(
寺山修司
)
11.
私は、〈過去〉という文字にルビをふるときにエクスペリエンス〈経験〉とするよりも、ストーリー〈物語〉とする方が当たっているという意見で、「過ぎ去ったことはすべて物語にすぎない」と思っている。
(
寺山修司
)
12.
自殺は、あくまでも人生を虚構化する儀式であり、ドラマツルギーに支えられた祭りであり、自己表現であり、そして聖なる一回性であり、快楽である。
(
寺山修司
)
13.
短歌形式がつねに自省をともなった事実信仰を前提にしていたのは「そうであった自分」の呪縛からのがれられなかったからだと言ってもいいだろう。
(
寺山修司
)
14.
勝負というのはいわば、
絶対へのあこがれなのであって、
そこにおける叙事詩的な成果は、
まさに「勝利」にしかない。
(
寺山修司
)
15.
女は何時(いつ)でも、家を作る。
巣を作るのも、ねぐらをあたためるのも女、子守唄をうたうのも、あたたかいスープを作るのも女である。
(
寺山修司
)
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