名言ナビ
→ トップページ
今日の
田辺聖子の名言
☆
12月7日
☆
← 前日の名言
→ 翌日の名言
1.
およそ、美容に関してカネを投じるには、ムキになる年代と、ヨタになる年代がある。
中年以後はヨタでよい。
(※美容を)「適当」にやるのは、自分の気やすめのためである。
(
田辺聖子
)
2.
ケンカしそうな男の子らがいて、横を通りかかった大人が
「ほらほら落とし物」と話しかける。
「何?」って探す。
見つからない。
そしたら大人が
「ゆとり。
いっぱい落としてるで」って。
自分も怒りっぽいからわかるんやろうね。
(
田辺聖子
)
3.
すべて男と女の仲は、焦ったり、あきらめたり、してはだめですな。
熟れた木の実がひとりでに落ちるように、自然と落ちるところへ落ちなければ、どこかに無理が生じますよ。
(
田辺聖子
)
4.
宝石というのは、それ自体の美しさと釣り合わない人間が、身に飾って喜んでるもの、と定義することもできる。
(
田辺聖子
)
5.
この日本にはヤングと老人ばかりのようだ。
オトナはどこへいっているのだろう?
(
田辺聖子
)
6.
身内(=身内との貸し借り)はきっちり、せなあかん。
身内で勘定と感情がこじれると、持ってゆきばがないから爆発する。
身内との貸し借りはきっちり、他人とはナアナアでエエ。
他人なら、がまんできんようになったら、裁判に訴えたり、殴ったり、時と場合によったら殺したりもできる。
(
田辺聖子
)
7.
老眼鏡さえあれば、老いもこわくもなくわるいものでもない。
(
田辺聖子
)
8.
笑うこと。
毎日笑えるナニかをみつけるか、つくること。
(
田辺聖子
)
9.
われわれはいつだって「引っこみつかん」ことはないのだ、メンツもプライドも信条も矜持(きょうじ)(=誇り)も建前も旗印もくそくらえ、と思えば「引っこみつく」。
(
田辺聖子
)
10.
〈家庭〉というものは、人が、〈面白(おもしろ)疲れ〉したときに要るのだ。
(
田辺聖子
)
11.
女はたのしむためのもの(あるいは男はたのしむためのもの)となるのは男女双方、中年すぎてからなのだ。
若いうちの異性は、苦しむためのものだ。
(
田辺聖子
)
12.
女は恋愛をするとナ、若い男見てもきょろきょろせえへん。
(
田辺聖子
)
13.
(長生きしたなあ……)
と自分で思ってしまうと、
(長生きして何が嬉しかろう?
ちっとも楽しいことはないではないか)
などという、やくたいもない省察が生まれてくる。
それゆえ、長生きした、なんて自分で考える間もないように、日々忙しく、日々楽しく、「夢うつつ」でとび跳ねて過ごしていればいいのだ。
(
田辺聖子
)
14.
血がつながっているからといって、アテにはならない。
血は分類学的な目安の一つで、それが絶対ではない。
親子や姉妹だからといって、みんな仲がいいわけではないのである。
他人同士の愛情のほうがホンモノで深いことがあるのだ。
(
田辺聖子
)
15.
私は、上機嫌でいたときのことを、ちゃんと記憶のノートに拾いあげて押花のしおりにしておく。
あのとき、あのとき、などとおぼえている。
(
田辺聖子
)
← 前日の名言
→ 翌日の名言
→ トップページ