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今日の
寺山修司の名言
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9月22日
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1.
カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」と問いかけているが、その答えは簡単だ。
人間は「話しかける袋」だからである。
「血の詰まったただの袋」は、決して叫んだり話しかけたりはできないのである。
(
寺山修司
)
2.
「ふるさと」などは、所詮(しょせん)は家出少年の定期入れの中の一枚の風景写真に過ぎないのさ。
それは、絶えず飢餓の想像力によって補完されているからこそ、充(み)ち足りた緑色をしているのだ。
(
寺山修司
)
3.
「名言」は、言葉の年齢とは関係ない。
それは決して、年老いた言葉を大切にせよということではなく、むしろその逆である。
老いた言葉は、言葉の祝祭から遠ざかってゆくが、不逞(ふてい)の新しい言葉には、英雄さながらのような、現実を変革する可能性がはらまれている。
(
寺山修司
)
4.
結婚は、夢を自在に見る力によってだけ持続されるのです。
(
寺山修司
)
5.
文明社会における不道徳というのは、
たった一つ、
「他人を不幸にする」ということだけです。
(
寺山修司
)
6.
歴史(=過去)は、「やさしく、美しいものばかり」とは、かぎらないのだ。
(
寺山修司
)
7.
政治は主に、人たちに何かを禁じる単位である。
政治的な権力は、何々を「してはいけない」ということを私たちに要求する。
それに対して、映画や演劇、詩、そうしたものの総体としての芸術は、人たちに何かを許す単位にかわりつつある。
(
寺山修司
)
8.
書を捨てよ、
町へ出よう
(
寺山修司
)
9.
賭博には必勝法が一つだけある。
それはイカサマをすることである。
「人工的に勝(かち)を演出する技術」といってもよい。
(
寺山修司
)
10.
勝った馬が常に美しいのは、
運の祝福を受けているからにほかならない。
(
寺山修司
)
11.
幕があがり、幕がおりる。
生死も投企(とうき)も、
すべて幕のかなたの出来事であり、
観客はそれを「複製」して日常的現実に持ち帰ってゆくという発想は、
劇場の中に坐っている数時間を、
人生そのものとしてではなく、
人生の予備の時としてしか見ていないということになるのだ。
(
寺山修司
)
12.
相手を傷つけずに相手を愛することなどできる訳がない。
勿論(もちろん)、愛さずに傷つけることだってできる訳がないのである。
(
寺山修司
)
13.
すでに完成した形式に自分をあてはめて、複製品になろうとしている人たちなどは、考古学的な興味をひくにしか値しない。
(
寺山修司
)
14.
死者は、たとえば背広のポケットに入る位(くらい)の大きさで充分だ。
なぜなら、死者は最早(もはや)、ただの〈ことば〉に過ぎないのだから。
(
寺山修司
)
15.
私は笑わないばかりではなく、
笑うにんげんがきらいだった。
笑うにんげんは、歯が見えた。
ときには歯だけではなく、真赤な歯ぐきまで見えた。
私は、笑うにんげんは「食人鬼」だと思っていた。
(
寺山修司
)
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