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今日の
寺山修司の名言
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6月15日
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1.
実現について論じることと、
感情を吟味することとは、
同じことばではできない。
一切の実現行為は、
思想や情念をバネとしてひきおこされることになるが、
実現されたときには、
それはもう感情そのものではない。
それを混同してしまうから、
さまざまの行動、
(そして制度化された約束事までも)すべて
「愛しているから」などということばで
大義名分化されることになる。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
2.
過去というのは「死の市」です。
しかも完成品です。
怒りによっては決して復元され得ないみごとな彫刻のようなものです。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
3.
煙草くさき国語教師が言うときに
明日という語は最もかなし
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
4.
他者の死は、かならず思い出に変わる。
思い出に変わらないのは、自分の死だけである。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
5.
自分の未来が自分の肉体の中にしかない。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
6.
すべての文明は
魂の内在的な出会い方がえがく軌跡だ。
あらゆる文化の成立ち(=成立)は、運命であり、
その死滅もまた運命である。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
7.
歌謡曲のなによりの特質は「合唱できない歌」だということなのである。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
8.
私たちは、遊戯の中に「人生のモデル」を見出す。
それは、テーブルの上で行われる、私たちの「もう一つの人生」であり、比喩である。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
9.
人間同士の葛藤(かっとう)のドラマは結局、人間を超えることは出来ないが、偶然との葛藤である競馬は、まるで「神の意志」とのたたかいのように思われたのである。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
10.
私は心中(しんじゅう)が好きだが、それは並の自殺よりも贅沢(ぜいたく)だからである。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
11.
自分自身が自分の厄介品(やっかいひん)だ、なんてのは実際笑われる。
しかも、人はたいてい、毎日歯をみがくようにして「厄介付属物」をしまつしていないかぎり、すぐに厄介品扱いをされてしまう。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
12.
人がもし、観ることだけによって世界とかかわろうとしたら、それは「人目につかぬ片隅の壁穴」になることでしかなく、それは自己疎外にほかならないでしょう。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
13.
定住することは、不滅を信じることだ。
私は、そんなものを信じない。
できるならば、私の死んだあとでも、墓は汽車の連結器の中につくってもらいたいと、思っている位(くらい)である。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
14.
ぼくはふと幸福ということについて考える。
幸福はおそろしい。
いつでも誰かを亡(ほろ)ぼす。
──誰かでなければ、自分を。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
15.
私たちは「近代」化を受け入れるにあたって、合理主義へ一つの留保をさしはさんだ。
それは、一口にいえば近代化への反逆とでもいったもので、無駄の哲学といったものである。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
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