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今日の
寺山修司の名言
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3月1日
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1.
偶然はつねに美しい。
(
寺山修司
)
2.
闇はつねにアナーキーである。
闇は一切の綱領(こうりょう)を認めないし、
一切の様式を超脱する。
闇は、等身大の世界とあからさまに対立しようとするもの、だ。
(
寺山修司
)
3.
目をとじて触れてみる。
この手、この腕、これが僕だ。
見ようとしなければ、ぼくは本物のぼく自身に触れることが出来るだろう。
そしてその手ごたえが、なによりも生きてるってことの証(あかし)になってくれるのさ。
(
寺山修司
)
4.
一人の男の意志的な決意もまた、
運命的な出来事にすぎぬ。
( 寺山修司 )
5.
にんげんは、
中途半端な死体として生まれてきて、
一生かかって完全な死体になるんだ。
(
寺山修司
)
6.
他者の死は、かならず思い出に変わる。
思い出に変わらないのは、自分の死だけである。
(
寺山修司
)
7.
たかが言葉で作った世界を言葉でこわすことがなぜできないのか。
引金(ひきがね)を引け、言葉は武器だ!
(
寺山修司
)
8.
劇場の中には、さまざまの〈出会い〉が組織される。
それは俳優と役中人物との〈出会い〉、俳優と観客との〈出会い〉、観客と役中人物との〈出会い〉、観客と観客との〈出会い〉──と、限りなくあるのだが、従来の劇場の中での〈出会い〉として表出されていたのは、その中の観客と役中人物との〈出会い〉だけであった。
(
寺山修司
)
9.
ぼくはどこへも行けなかった……
あの忌(い)まわしい家族たちから逃れて
わが家の他人になるための放浪に出るには
何かが欠けていた、
そう、肉親への憎しみが、欠けていたのだ。
(
寺山修司
)
10.
「大事件は二度あらわれる」とマルクスは言った。
一度目は悲劇として、二度目は喜劇としてだ!
だが真相はこうだ!
一度目は事件として、二度目は言語として、だ!
(
寺山修司
)
11.
幸福は何かの代償でも事物でもなく、行為そのものであり、その行為の水先案内人として「幸福論」があるのだ。
(
寺山修司
)
12.
家出の実践は政治的な解放のリミットを越えたところでの、自立と自我の最初の里程標(りていひょう)をしるすことになるだろう。
(
寺山修司
)
13.
誰でも、偶然なしでは生きている愉(たの)しみがない。
そんなとき、無印の非力な馬の馬券を一枚買ってみる。
その馬の「万に一つの逆転の可能性」は、そのまま自分の人生の「万に一つの逆転の可能性」に通底しているからである。
(
寺山修司
)
14.
ソレルスの「暴力論」ではないが、反戦とは「反戦についてのシンポジウムをする」ことなどではなく、自らの手で戦争の息の根を止めるための「具象的行為」をなすべきである。
(
寺山修司
)
15.
友情というのは、「魂のキャッチボール」である。
一人だけが長くボールをあたためておくことは許されない。
受けとったら投げかえす。
そのボールが空に描く弧が大きければ大きいほど受けとるときの手ごたえもずっしりと重いというわけである。
それは現代人が失いかけている「対話」を回復するための精神のスポーツである。
(
寺山修司
)
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