名言ナビ
→ トップページ
今日の
寺山修司の名言
☆
2月20日
☆
→ 日別名言メニュー
← 前日の名言
→ 翌日の名言
1.
賭博が、しばしば人の生き甲斐となりうるのは、それがじぶんの運命をもっとも短時間に「知る」方便になるからである。
(
寺山修司
)
2.
かつての時代にあっては、「自分にかわるべき」戦士は代議士であった。
しかし、政治というジャンルは決して彼らの内部生活を救済してはくれなかった。
それどころか政治は空しく彼らを裏切り、同時代人たちはスチュアート・ホルロイドではないが「政治を通さずに社会を変える」べき、べつの代理人を探さなければならなくなったのである。
(
寺山修司
)
3.
「ふるさと」の絵というのは、どうして遠景ばかりなのだろう。
それは、私が十歩近づけばその分だけ遠ざかり、決して中へ入ることを許さない、遙(はる)かな風景なのであった。
(
寺山修司
)
4.
私にとって大学の理想は、三人、五人、十人といった「私塾」的なものである。
パルチザン的な、人間的なつきあいが最小限に守られるようなはとバス的大学、走る大学、そして学生自身が自分の欲求で国家的使命を越えられる解放された大学。
(
寺山修司
)
5.
書物はしばしば「偉大な小人物」を作るが、人生の方はしばしばもっと素晴らしい「俗悪な大人物」を作ってくれるのだ!
(
寺山修司
)
6.
正義と悪とは、つねに相対的な関係であり、同じ行為が正義として扱われたり、悪として取沙汰(とりざた)されるのは、その行為をとりかこむ状況、政治の問題だったからである。
(
寺山修司
)
7.
私たちの時代に失われてしまっているのは「幸福」ではなくて、「幸福論」である。
幸福がそれ自体として生きるためには、それを生かすための幸福論がなければならない。
(
寺山修司
)
8.
カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」と問いかけているが、その答えは簡単だ。
人間は「話しかける袋」だからである。
「血の詰まったただの袋」は、決して叫んだり話しかけたりはできないのである。
(
寺山修司
)
9.
戦争の本質は、実は少年たちの「戦争ごっこ」の中に根ざしている。
十歳や十五歳の少年が、戦争ファンであるあいだ戦争はなくならない。
少年たちが成長するように、彼らの「戦争」もまた成長してゆくのだから。
(
寺山修司
)
10.
なぜ、国家には旗がありながら、ぼく自身には旗がないのだろうか。
国家には「君が代」がありながら、ぼく自身には主題歌がないのだろうか。
(
寺山修司
)
11.
私には、忘れてしまったものが一杯ある。
だが、私はそれらを「捨てて来た」のでは決してない。
忘れることもまた、愛することだという気がするのである。
(
寺山修司
)
12.
人生ではやり直しがきかない。
出遅れたら、追い込むしかないのだった。
(
寺山修司
)
13.
おまえのかなしみは
一日も早く
よごしてしまったほうがいい
そして
洗濯機で洗ってしまうのさ
ぼくはよく見かける
洗濯物といっしょに
風にはためいている
おまえの
白いかなしみを
(
寺山修司
)
14.
幕があがり、幕がおりる。
生死も投企(とうき)も、
すべて幕のかなたの出来事であり、
観客はそれを「複製」して日常的現実に持ち帰ってゆくという発想は、
劇場の中に坐っている数時間を、
人生そのものとしてではなく、
人生の予備の時としてしか見ていないということになるのだ。
(
寺山修司
)
15.
私たちはどんな場合でも、劇を半分しか作ることができない。
あとの半分は観客が作るのだ。
(
寺山修司
)
← 前日の名言
→ 翌日の名言
→ 日別名言メニュー
→ 今日の名言(テーマ別)
→ 今日の名言(星 座 別)
→ 今日の名言(血液型別)
→ 日別の名言(テーマ別)
→ 日別の名言(星 座 別)
→ 日別の名言(血液型別)
→ トップページ