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今日の
寺山修司の名言
☆
9月11日
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1.
賭博には必勝法が一つだけある。
それはイカサマをすることである。
「人工的に勝(かち)を演出する技術」といってもよい。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
2.
友情というのは、「魂のキャッチボール」である。
一人だけが長くボールをあたためておくことは許されない。
受けとったら投げかえす。
そのボールが空に描く弧が大きければ大きいほど受けとるときの手ごたえもずっしりと重いというわけである。
それは現代人が失いかけている「対話」を回復するための精神のスポーツである。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
3.
たとえば書物とは
「印刷物」ばかりを意味するものではなかった。
街自体が、開かれた大書物であり、
そこには書きこむべき余白が無限に存在していたのだ。
かつて、私は
「書を捨てよ、町へ出よう」と書いたが、
それは「印刷物を捨てよ、そして
町という名の、べつの書物を読みに出よう」
と書き改められなければならないだろう。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
4.
実際に起こらなかったことも
歴史のうちであり、
〈過去〉だけでは
真実を解きあかすことができない。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
5.
読書にとっては
「作家論」などより
「読者論」のほうが、はるかに重大だ。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
6.
現代にあって戦争は政治利益の手段として、使命と役割を与えられ、貧困と飢餓にあって、戦いたくないものまで戦わさせられている。
だが、ゲームの本質は、やめたいものは何時(いつ)でもやめる自由を持つことであり、義務づけられるものではないはずだ。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
7.
何かを「あらわす」ために用いられる言語は、何かを「かくす」ためにも用いられる。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
8.
快楽は、時としては政治的である。
だが、快楽はいつの場合にでも反社会的であった。
その定義は「革命は政治的であるが、いつの場合にも反社会的であった」と言い換えることもできる。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
9.
街は、いますぐ劇場になりたがっている。
さあ、台本を捨てよ、街へ出よう。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
10.
今日では、標準語は政治や経済を語る言葉になってしまった。
──人生を語るに足るのは、方言しかないからだ。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
11.
人が死ぬときには、
それぞれにふさわしい死の曲というのがある。
自分に似合った曲をききながら
息を引きとることができれば、
この上ない幸福だと思うべきだろう。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
12.
政治と言うものは、滅私への道を見出すことだ。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
13.
まだまだ世間体や近所の噂、古い因習や道徳律、
そして損得と安全に捉われて
何もできないでいる若者たちが、
その抑圧と不満を、
スクリーンの中の代理人たちに
晴らして貰っている現実がおおすぎます。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
14.
この世でいちばん遠い場所は
自分自身の心である
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
15.
にんげんの最後の疎外は自分の想像力からの疎外であり、それからの解放、自らの内臓の壁への落書きだけが「詩の創生」につながる、もっともラジカルな闘いだということになるのである。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
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