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今日の
寺山修司の名言
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9月5日
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1.
いつの時代にも
「世界の終り」は、
その時代の想像力を動員しながら語られてきた。
「世界の終り」という虚構は、
イソップのうそつき少年の「狼が来た」と叫びまわる声のように、
多くの人たちを騒がせたが、
その人たちが死んだあとも、
世界だけは生き残っていた。
(
寺山修司
)
2.
ダミアはシャンソンで、
「海で死んだ人は、みんなカモメになってしまう」
と歌いましたが、カモメになれなかった溺死(できし)の少女は、今も海の底に沈んでいます。
だから、ひとはだれでも青い海を見ていると悲しくなってしまうのです。
(
寺山修司
)
3.
旅は出会いである。
人は出会いの偶然をもとめて
汽車に乗る。
(
寺山修司
)
4.
「幸福」を書物によってとらえようとすれば、書物の歴史性が邪魔をするというのが、私の考えだ。
(
寺山修司
)
5.
他者の死は、かならず思い出に変わる。
思い出に変わらないのは、自分の死だけである。
(
寺山修司
)
6.
私は、政治的「差別」がおおむね悪であることを
(政治という形態が、悪の論理を内包せずには成立せぬという不条理をふくめて)
否定されるべきである(=許されるべきでない)ということに異は唱えないが、
それが「差別」であるから悪なのではなく、
政治的利害が生み出した観念が差別に先行しているから悪なのだと思っている。
(
寺山修司
)
7.
「大事件は二度あらわれる」とマルクスは言った。
一度目は悲劇として、
二度目は喜劇としてだ!
だが真相はこうだ!
一度目は事件として、
二度目は言語として、だ!
(
寺山修司
)
8.
猫と女は、呼ぶと逃げ、呼ばないとすりよってくると言うが、運命もまた、こっちが冷たくしていると機嫌とりにやってきて、こっちがしつこく追いまわすと遠ざかってしまう。
(
寺山修司
)
9.
多くの詩人たちに好んで扱われる素材は「そうであった自分」について、である。
彼らにとって「何をしたかったか」が問題ではなく「何をしたか」が問題なのである。
(
寺山修司
)
10.
「詩」もことばだと思ってはいるが、
やっぱりことばではないのではないか、
と思うことがある。
詩はことばに毒されてはいるけれども、
素朴に言えば、
イマジネーションの世界なのである。
(
寺山修司
)
11.
演歌をふくめて、大衆の音楽というのは、つねに彼らの中にある故郷喪失感と、その回復願望といったものに根ざしているのかもしれない。
(
寺山修司
)
12.
歩き方だって、服装だって、すべて
〈かくあるべきもの〉という概念の盗作によって
他人を志向し、
他人とのつながりを辛うじて守っている。
(
寺山修司
)
13.
地上は限りない戦いのために見えない血であふれています。
(
寺山修司
)
14.
劇の中の不幸は劇の中で救済しなければならない。
(
寺山修司
)
15.
落書きというのは、堕胎された言語ではないだろうか?
それは、誰に祝福されることもなく、書物世界における「家なき子」として、ときには永遠に「読まれる」ことなしに消失してしまうかもしれない運命を負っているのである。
(
寺山修司
)
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