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今日の
寺山修司の名言
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9月1日
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1.
この広い空の下のどこかに、私の分身が一人いて、私とのめぐり逢いを求めながら旅しているのではなかろうか?
(
寺山修司
)
2.
ほんとうは、名台詞(せりふ)などというものは生み出すものではなくて、探し出すものなのである。
(
寺山修司
)
3.
「自由」という言葉と「明日」という言葉は似ているのであって、
それが現在形で手に入ったと思うときは
死を意味しているのです。
(
寺山修司
)
4.
つまらない書物というのはないが、つまらない読書というのはある。
どんな書物でも、それを経験から知識にしてゆくのは読者の仕事であって、書物のせいなどではないからである。
(
寺山修司
)
5.
ことばだって所詮は一つのかくれ家ではないのかね?
(
寺山修司
)
6.
イカルスはとんだが、ぼくはとべなかった。
とぶことはただの冒険だがとぶことを想うことは思想なのだ、とぼくは自分に言いきかせて、せめてもの心を慰めることにした。
(
寺山修司
)
7.
詩は書いた詩人が
自分に役立てるために書くのであって、
書くという体験を通して
新しい世界に踏み込んでゆくために
存在しているものなのだ。
(
寺山修司
)
8.
私は、結婚はきらいだが、
花嫁と新婚旅行は好きだった。
結婚には、日常性がつきまとうのでわずらわしいが、
花嫁とか新婚旅行は虚構だからである。
(
寺山修司
)
9.
消しゴムがかなしいのは
いつも何か消してゆくだけで
だんだんと多くのものが失われてゆき
決して
ふえることがないということです
(
寺山修司
)
10.
賭博が、しばしば人の生き甲斐となりうるのは、それがじぶんの運命をもっとも短時間に「知る」方便になるからである。
(
寺山修司
)
11.
歴史には、何の目的も使命もない、というのが、私の少年時代からの一つの精神の綱領(こうりょう)となっていた。
それは「流れる雲の赴(おもむ)く彼方(かなた)」に、雲のユートピアが存在しない、というほどの意味であり、歴史にメシアニズムなどを求めてはならないのだ、という私自身の戒律でもあった。
(
寺山修司
)
12.
不幸な物語のあとには、
かならず幸福な人生が出番を待っています。
(
寺山修司
)
13.
競馬の快楽とは、運命に逆らうことだ。
(
寺山修司
)
14.
愛憎は人間と人間とのあいだにしか生まれぬ感情だが、
怒りは時として神に対しても向けられる。
それは、自然と人間とのむなしい闘いのなかにも生まれる、
きびしい情念の父なのである。
(
寺山修司
)
15.
夢は現実の欠落を埋めあわせるためにではなく、
現実の水先案内人としてあるべきだ。
(
寺山修司
)
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