名言ナビ
→ トップページ
今日の
寺山修司の名言
☆
3月25日
☆
→ 日別名言メニュー
← 前日の名言
→ 翌日の名言
1.
私は短い時間に賭けるものにほど親しみを感じる。
なぜなら、三日に生き甲斐を感じるものよりも三分に生き甲斐を感じるもののほうが「より多く生きられる」ことになるし、いかにも「生き急ぐ」ものの栄光と悲惨がナマナマしく感じられるからである。
(
寺山修司
)
2.
空想は、行為の再現でもなければ終局でもない。
まさに現実と同じように、力学をもった存在である。
(
寺山修司
)
3.
自殺は、あくまでも人生を虚構化する儀式であり、ドラマツルギーに支えられた祭りであり、自己表現であり、そして聖なる一回性であり、快楽である。
(
寺山修司
)
4.
ことばだって所詮は一つのかくれ家ではないのかね?
(
寺山修司
)
5.
美しすぎる童話を愛読したものは、大人になってから、その童話に復讐される。
(
寺山修司
)
6.
政治は主に、人たちに何かを禁じる単位である。
政治的な権力は、何々を「してはいけない」ということを私たちに要求する。
それに対して、映画や演劇、詩、そうしたものの総体としての芸術は、人たちに何かを許す単位にかわりつつある。
(
寺山修司
)
7.
ボクサーは自分に勝つ必要なんかない、敵にだけ勝てばいいんだ。
敵と戦わなきゃならん大切なときに、
自分とも戦うなんて、無茶なことだ。
まるで、二人も相手にするようなもんじゃないか。
(
寺山修司
)
8.
あなたを怒らせて
あなたの中の「他人」をひきずり出してやらなきゃね。
(
寺山修司
)
9.
僕は、思想的立場からすれば「デブ」が好きです。
今日のように、痩せ細った肉体の持主たちの支配する知的文明というものが、人間をしだいに主知的にし、理性的にして、肉体の素晴らしさから遠ざけてゆくものだと思っているのです。
(
寺山修司
)
10.
生が終わって死が始まるのではない。
生が終われば死もまた終わってしまうのだ。
(
寺山修司
)
11.
劇のコミュニケーションの中で〈わかる〉なんてことは、ほんの部分的なコミュニケーションにすぎない。
言語を過信した演劇は、次第に複製化してゆき、結局は台本を肉体に翻案して見せるだけの、虚構で終わってしまうだろう。
(
寺山修司
)
12.
人類が最後にかかる、
一番重い病気は
「希望」という病気である。
(
寺山修司
)
13.
教育は与えるものではなく、受けとるものである、
と思えば、
人生いたるところに学校ありで、
ゲームセンターにも競馬場にも、映画のスクリーンの中にも、歌謡曲の一節にも、
教育者はいるのである。
(
寺山修司
)
14.
生きてるあいだは、随分(ずいぶん)と人騒がせなことをやったから、せめて死ぬとき位(くらい)は、人知れず、ひっそりと姿を消したい。
(
寺山修司
)
15.
〈必勝法〉を獲得し、
偶然を排したとき、
人は「幸運」に見捨てられ、
美に捨てられる。
(
寺山修司
)
← 前日の名言
→ 翌日の名言
→ 日別名言メニュー
→ 今日の名言(テーマ別)
→ 今日の名言(星 座 別)
→ 今日の名言(血液型別)
→ 日別の名言(テーマ別)
→ 日別の名言(星 座 別)
→ 日別の名言(血液型別)
→ トップページ