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今日の
寺山修司の名言
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1月25日
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1.
にんげんは、
中途半端な死体として生まれてきて、
一生かかって完全な死体になるんだ。
(
寺山修司
)
2.
私自身の存在は、いわば一つの質問であり、世界全体がその答(こたえ)なのではないか。
(
寺山修司
)
3.
家出の実践は政治的な解放のリミットを越えたところでの、自立と自我の最初の里程標(りていひょう)をしるすことになるだろう。
(
寺山修司
)
4.
走ることは思想なのだ
(
寺山修司
)
5.
能力なんてのは誰でも、みんなが、千の群衆の千の肉体がもってるものなのですよ。
(
寺山修司
)
6.
卑怯者ってのはね、きみが何をしたか、ってことで決まるんじゃなくて、きみが何を後悔してるかってことで決まるんだよ。
(
寺山修司
)
7.
人は誰も、走りながら読書することはできないし、泳ぎながら次のページを繰(く)ることはできない。
現在の時間を停止させる行為の中で、一瞬の永遠を手に入れるのだ。
(
寺山修司
)
8.
(人が)ヘンシンするのは仮面をつけたときではない。
人はむしろ、仮面をつけたときには安心して本当のことを言える。
だが、裸にされたら、
本当のことを言ってはいられない。
(
寺山修司
)
9.
親の愛情、とりわけ母親の愛情というものはいつもかなしい。
いつもかなしいというのは、それがつねに「片恋(かたおもい)」だからです。
(
寺山修司
)
10.
美術館は、アプリオリに存在しているのではなく、時に応じて成り立つものである。
それは、しばしば「在(あ)る」ものではなく、鑑賞者の体験によって「成(な)らしめられる」無名の形態なのだ。
(
寺山修司
)
11.
可視の現実、日常的な現実としてわれわれが把(とら)えているものが、実は「見える闇」に過ぎないのだということを忘れることはできない。
(
寺山修司
)
12.
救済というのは、集団の中で発揮される個人的なエゴイズムにすぎない。
だれが、欠けた茶碗を、枯れた一本の木を〈救済〉などできるものか。
(
寺山修司
)
13.
わらべ唄というのは
ペストや黒死病みたいに伝染性を持ったものであることが重要であり、
その辺が他の詩歌と違うところなのではないか。
(
寺山修司
)
14.
「明日になれば、思いがけないことが起こるかも知れない」
だから「明日何が起こるかわかってしまったら、明日まで生きる愉(たの)しみがなくなってしまう」のである。
(
寺山修司
)
15.
短歌形式がつねに自省をともなった事実信仰を前提にしていたのは「そうであった自分」の呪縛からのがれられなかったからだと言ってもいいだろう。
(
寺山修司
)
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