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「生きてる価値」を感じるような生き方の型が、一定して客観的にあるのではなく、「生きてる価値」とか「生きる意義」とか、「生きる価値」とかいったものは、「自分のため」という現実の生活の中で、自分が主観的に見出してゆくほかないものである。

[ 出典 ]
木村無相[きむら・むそう]
(念仏詩人、1904〜1984)

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〈全文〉
「生きている価値」といったことは、客観的に「これこれのことをしたら生きてる価値がある」というふうに決められるものであろうか。
ムー(無相)には、どうも、「生きてる価値」といったものは、至って、主観的なものではないかと、思われるんだけれどどうであろうか?
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人間というものは、聖人君子でなく、普通の人間というものは、「自分のため」ということを度外視して、無視して、「人のため」ばかりを思って、生きられるものだろうか、ということであります。
私も、かつては、「自分のため」でなく、「人のため」ばかりを思い、「人のためばかりをしよう」と思って、努力したことでありました。
結局は、ムーとしては落第だったのです。
ムーは、「人のため」ばかりというような生き方は出来ず、「自分のため」が中心という生き方しか出来ない人間であると、つくづく思いしらされたのでありました。

普通の人間は、自分のため、といった自己中心的な生き方しか、普通には出来ないのではないだろうか。
たとえ、そうした生き方は、「生きる価値がない」という生き方にしても。
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「生きてる価値」があってもなくても、こうでなければ生きられないのが、私の現実ですと、言わざるを得ないのが、私の生活の事実なのです。
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「生きてる価値」を感じるような生き方の型が、一定して客観的にあるのではなく、「生きてる価値」とか「生きる意義」とか、「生きる価値」とかいったものは、「自分のため」という現実の生活の中で、自分が主観的に見出してゆくほかないものであると、ムーは言いたいのであります。
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