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今日の
寺山修司の名言
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12月23日
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1.
劇場とは、施設や建物のことではなく、劇的出会いが生成されるための「場」のイデオロギーのことである。
どんな場所でも劇場になることができるし、どんな劇場でも劇が生成されない限りは、日常的な風景の一部にすぎなくなる。
(
寺山修司
)
2.
目をとじて触れてみる。
この手、この腕、これが僕だ。
見ようとしなければ、ぼくは本物のぼく自身に触れることが出来るだろう。
そしてその手ごたえが、なによりも生きてるってことの証(あかし)になってくれるのさ。
(
寺山修司
)
3.
今日では、標準語は政治や経済を語る言葉になってしまった。
──人生を語るに足るのは、方言しかないからだ。
(
寺山修司
)
4.
猫と女は、呼ぶと逃げ、呼ばないとすりよってくると言うが、運命もまた、こっちが冷たくしていると機嫌とりにやってきて、こっちがしつこく追いまわすと遠ざかってしまう。
(
寺山修司
)
5.
人生には、答えは無数にある。
しかし
質問はたった一度しか出来ない。
(
寺山修司
)
6.
木という字を一つ書きました
一本じゃかわいそうだから
と思ってもう一本ならべると
林という字になりました
(
寺山修司
)
7.
夢を深く見すぎると、いつかその夢に復讐されます。
かと言って、夢を見ようとしない人は、いつも味気ない日を過ごさなければなりません。
(
寺山修司
)
8.
ぼくは、知りたいために賭ける。
賭けるものは、つねに投げ出された「部分的存在」であり、統一的な世界のイメージを探究しつづけるものだ。
(
寺山修司
)
9.
何かを「あらわす」ために用いられる言語は、何かを「かくす」ためにも用いられる。
(
寺山修司
)
10.
賭博精神は、どちらかといえば無頼(ぶらい)のものではなくて、熱い達観者の思想なのである。
(
寺山修司
)
11.
(映画の)スクリーンは、並んで坐った者同士が「同じ夢を見る」ための限られたスペースであり、映画は夢の入口に誘う眠りのようなものである。
(
寺山修司
)
12.
夢の中で、夢を見たわ。
「夢だと思っていたことが現実で、現実だと思っていたことが夢だった」という夢なの。
(
寺山修司
)
13.
賭けるたびに儲かってしまうギャンブルなど
何とむなしいことだろう。
負けるかもしれないからこそ、
ぼくは賭けるたびに緊張し、
そして生きている自分を
感じることができるのだから。
(
寺山修司
)
14.
いい死体の役者は、百ぺん死ねる役者のことだ。
たった一度だけじゃ、演技と言えない。
(
寺山修司
)
15.
母性愛は美しいという発想は非常に危険だと思う。
自分の息子のために命がけでやる母親というのは、他人の息子のためには命がけでやらないということと裏腹になっている。
(
寺山修司
)
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