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今日の
寺山修司の名言
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5月19日
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1.
時がくると、私の人生にはピリオドが打たれる。
だが、父親になれた男の死はピリオドではなく、コンマなのだ。
コンマは休止符であり、また次のセンテンスへとひきつがれてゆくことになる。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
2.
歴史をかえてゆくのは革命的実践者たちの側ではなく、むしろくやしさに唇をかんでいる行為者たちの側にある。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
3.
空想を、現実の中で具現しようとすることは、いかなる時代においても、犯罪的であると、私は考える。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
4.
いかなる時と雖(いえど)も、ぼくは「不運」と地獄とを峻別(しゅんべつ)して考えていたが、これは不運は在(あ)るものだが地獄は成(な)るものだからである。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
5.
誰かに何かが足りない、というのでは悲劇は描けないのであって、
真に劇的なる葛藤は、
すべての充足したときにも起こり得る不条理な現実の上に成り立っているのである。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
6.
家庭は幸福で、経済的にも充足しており、天気も晴朗で、小鳥もさえずっている。
何一つ不自由がないのに、突然死ぬ気になる──という、事物の充足や価値の代替(だいたい)では避けられない不条理な死、というのが自殺なのであり、その意味で三島由紀夫は、もっとも見事に自殺を遂げたことになる。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
7.
劇場があって劇が演じられるのではない。
劇が演じられると、劇場になるのである。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
8.
私たちは、書物をまえに孤立し、意味を分有し、内面化し、代理現実(記述された現実)とかかわることによって、身体的現実から遠ざかってゆくことになってしまう、ということをしばしば忘れている。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
9.
人生は、連続しているのではなく断ち切れており、人は一生のうちに「何人かのべつの人間」として生きるのだ。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
10.
偶然はつねに美しい。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
11.
私はどのようなイデオロギー下にあっても、国家なんてものを好きになることはできないよ。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
12.
快楽は、時としては政治的である。
だが、快楽はいつの場合にでも反社会的であった。
その定義は「革命は政治的であるが、いつの場合にも反社会的であった」と言い換えることもできる。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
13.
すべては即興化する。
歴史自身のように。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
14.
目と書物とは、二十センチ位(くらい)の距離を保っているとコミュニケーションが成り立つが、それ以上近づくとぼやけてしまうし、それ以上遠ざかると、読めなくなってしまう。
ロートレアモンの詩もマルクスの論文も、わずか二十センチの距離を保つことによって存在してきたものにすぎないのだ。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
15.
真実は最後の勝利者だと人は言う。
だがそれは真実ではないのだよ。
(
寺山修司
)
(
Terayama Shuuji
)
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