名言ナビ
→ トップページ
今日の
寺山修司の名言
☆
1月18日
☆
→ 日別名言メニュー
← 前日の名言
→ 翌日の名言
1.
落書きというのは、堕胎された言語ではないだろうか?
それは、誰に祝福されることもなく、書物世界における「家なき子」として、ときには永遠に「読まれる」ことなしに消失してしまうかもしれない運命を負っているのである。
(
寺山修司
)
2.
苦痛から逃れようとするから駄目なんだ。
苦痛に救いを見出すこと……それだ。
(
寺山修司
)
3.
引き算がさみしいのは、だんだん数が減ってゆくことだよ。
(
寺山修司
)
4.
空想は、行為の再現でもなければ終局でもない。
まさに現実と同じように、力学をもった存在である。
(
寺山修司
)
5.
想像力は、政治状況によって「与えられる」のではなく、むしろ与えられる政治状況に自己の主体を与え返すための武器でなければならなかったはずである。
(
寺山修司
)
6.
明日何が起こるかわかってしまったら、明日まで生きるたのしみがなくなってしまうことだろう。
(
寺山修司
)
7.
想像する、ということが現実のみすぼらしさへの報復にすぎないという考え方は、現実と想像とのあいだへ「階級」を持ちこむことである。
(
寺山修司
)
8.
この世でいちばん遠い場所は
自分自身の心である
(
寺山修司
)
9.
ことばだって所詮は一つのかくれ家ではないのかね?
(
寺山修司
)
10.
友情は人間が事物的に扱われてゆく「科学の法規」から身を守るための、最後の熱い砦(とりで)だと思われる。
(
寺山修司
)
11.
生が終わって死がはじまるのではなく、生が終われば死も終わる。
死は生につつまれていて、生と同時にしか実存しない。
(
寺山修司
)
12.
私より少し先をゆく影が不意の死とぶつかる。
しかし、本体はまだ死にたくないので捲(ま)きこまれまいとして葛藤(かっとう)する。
切りはなそうとしても、どこまでもついてくる私自身の「影からの脱走」──人生なんて、案外そんなゲームなのかも知れない。
(
寺山修司
)
13.
映画はでき上がったときから回想されるという形式であり、歴史と同じように、二度目に現れてくるときは、受けとり手の想像力の中でしか生きられないものである。
(
寺山修司
)
14.
幕があがり、幕がおりる。
生死も投企(とうき)も、
すべて幕のかなたの出来事であり、
観客はそれを「複製」して日常的現実に持ち帰ってゆくという発想は、
劇場の中に坐っている数時間を、
人生そのものとしてではなく、
人生の予備の時としてしか見ていないということになるのだ。
(
寺山修司
)
15.
すべてのインテリは、東芝扇風機のプロペラのようだ。
まわっているけど、前進しない。
(
寺山修司
)
← 前日の名言
→ 翌日の名言
→ 日別名言メニュー
→ 今日の名言(テーマ別)
→ 今日の名言(星 座 別)
→ 今日の名言(血液型別)
→ 日別の名言(テーマ別)
→ 日別の名言(星 座 別)
→ 日別の名言(血液型別)
→ トップページ